11.06.2020

手にしているものを差し出すとは



日本では寄付という概念に
少し馴染みがないかもしれません
チップ文化でない事も理由の一つ
と言われています




寄付とは単純にお金を寄付する
という事もあれば自分の能力を
寄付するという場合もあります




ある国の僧侶が仰った言葉の中に
日本のコンビニエンスストアのレジ横
にある寄付の箱はとても良い
いつでも寄付する練習ができるからね
というものがありました




寄付する練習
シェアする練習
その言葉はとても新鮮に響きました




寄付できない自分やシェアできない
ケチな自分に罪悪感を持たなくていい
なぜなら練習が足りないだけなんだと
思えたからです




海外では寄付やボランティアへの社会活動
が活発で、政治的な意味がある場合もあり
ますが、裕福な人ほど意識も高く活動も
活発です




寄付とは自分の身を削ることではなく
自分の豊かさをシェアする事




豊かなものをシェアするなんて簡単だ
と思う方もいるかもしれませんが
本当にそうでしょうか




逆に少ないものの中からでも差し出すと
美徳のように思われるかもしれませんが
その少なさは主観であり真実は見えません




ボトルに入った半分の水の例えにある
半分しかないと思うか
半分もあると思うか




どちらの考えも間違いではないのですが
どちらの考え方でいるかは
感謝への思いと比例するように感じます




握りしめていた手をふわっと解く
その時に初めて差し出すことができる




それは
誰かに対してだけではなく
自分へ対しても同様です




明日と明後日のブログはお休みします
いつも読んで下さりありがとうございます




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