2019年11月29日金曜日

結婚の形、パートナーとの形



寒くなり身体の硬さがますようになってきた





去年の年末年始はバンコクで過ごしたが
今年は横浜で初めての年越しをする予定だ





札幌の冬は寒く
首の悪いせいもあり寝て過ごすしかない程
体調が悪くなり
同時にメンタルまで落ち込むので
寒くなると暖かい国で越冬する事にしていた





期間は
短くて1週間
長くて3ヶ月





出発前に必要がある人に告げておくのだが
返ってくる言葉で一番多かったのは文字通り





「ご主人のご飯はどうするの?」





であった





以前知人から聞いた話だが
彼女が長い時間出かける用事があると
「俺は何を食べたらいいの?」
と言われるとのことだった





お子さんの食事ならわかる
だが、大の大人が何食べたらいいの?とは
失礼ながら呆れてしまった





もともと海外越冬を勧めてくれたのは夫だったの
だが、彼にも理由があり、体調が悪くメンタルも
悪い私と暮らすよりは、楽なところで過ごしていて
くれればお互いにとっても良いという事だった





そして私がいなければ好きな物を好きなように
食べられるというおまけ付きだ





「ご主人のご飯はどうするの?」





そう聞かれた当初はなんとなくムッとして






「彼は大人なんだから食事くらい自分でできますよ」





と内心、私は夫のお抱えの家政婦だとでも思っている
の?と思いながら言葉を返していたが、途中から






「私がいなければ大好きなラーメンも好きな時に
食べられるし、外食し放題で楽しいみたいですよ」





と返すと、ああ・・とそれ以上は言われなくなった






実際、夫は外食もするが、ご飯を炊き(我が家には
白米用の炊飯器がないので鍋で炊けるようにもなった)
お刺身を食べたり、蕎麦を作ったりと楽しんでいた





私の父は料理が得意で家事も普通にやっているし
食べたいものがあれば自分で作っていた
母よりも父が作る食事の方が大胆で豪華で
美味しくて好きだった





私の周りにいる男性は父や夫のような人なので
「俺は何を食べたらいいの」現象が理解できなかった





だが時が経つにつれて、もともと当たり前とは思って
はいなかったが、私以外の人にとっては全く当たり前の事
ではないとわかり、返事を工夫する事にしたのだった





私は恵まれていると思う
ただ自分の家が一番好きなので首が悪くなければ
海外越冬なんてしたくないのだ





私は料理が好きだし
ストレスが溜まった時などは特に様々の種類の
料理を夢中で作る事でいつの間にか気持ちが
リセットされる事もある





夫も私が作る食事が好きで
毎日夕食を楽しみにしているし
最近ではランチ用に持っていきたいというので
おにぎりと水筒を用意している





だが我が家ではこれが決して
俺は何を食べたらいいの?には繋がらない





おにぎりと水筒
それだけの事だが
最高に美味しい!ありがとう!
と時間があれば連絡してくる





何もこれは我々夫婦の惚気ではなく
私が作ったのだから当然、美味しいおにぎり
なのだし、お茶も毎日どれが喜ぶかと種類を
考えて淹れているのだから、そう言いたくなる
だろうねとランチに関しては謎の上から目線だ






そして外食をする際には
あなたのおかげでこんなに美味しいものが
食べられて幸せだと私は告げる





とは言え、先日は大切な書類をどこにしまったか
しまわないかでくだらない言い争いもしたばかりだ
案の定、私が悪かったのにも関わらず腹立たしい





パートナーとの形とは様々で
一度当たり前になってしまった事を
覆すのは難しいかもしれない





だが、その当たり前は本当に当たり前なのだろうか?





私達夫婦もまだ改善すべき点は沢山ある
相手側だけに要求するのではなく
私も沢山の思い込みを変えてきた





それは自分が折れれば丸く収まる
と言った理由ではなくもっと前向きな理由だ






より良い関係にしたい
理由はただこの一つだけ






明日と明後日のブログはお休みします
次の更新は月曜日の予定です





2019年11月28日木曜日

年齢を重ねた女性の体の変化



一昨日、起床した時は何事もなく夕食にする
参鶏湯の仕込みをした
参鶏湯は仕込みさえしてしまえば後は調理器具に
お任せなので用意が終わると通っている婦人科の
クリニックへとバスで向かった





クリニックはバスで20分くらいの所で今は週に
2度ほど通っている
今回もいつも通りに向かったのだが、帰りのバスで
急に吐き気に襲われ最終的には目眩もおこった
冷や汗をかきながらたどり着き、横になっても
グラグラとする





ハイヒールのレッスンの日だったので
時間が経てば治るかもしれないと淡い期待を抱きつつも
同様に目眩が起こった時には丸二日起き上がれなかった
ので早めに判断し Asami先生にキャンセルの旨をお伝えした






目眩がおこったのは一昨年が初めてだった
朝起き上がろうとすると天井がグルグルと回る
寝返りをする度にグルグル回る
とにかく寝ている事しかできない
お手洗いにはそろそろと這っていくしかないし
とにかく頭を動かすと酷い





目眩になったことがなかったので
このように酷く辛いものだと想像していなかった





その日は仲の良い友人を含めた数人とショーを見に
行く予定にしていたのでどうにかこうにか連絡をした





私より少し先行く年齢である友人は
動物のように丸まって寝てなさい
そういう時はそうするしかないのよ
とメッセージを送ってきた





アドバイスの通り
動物のように丸まって眠り、回復を待った





メニエールという病があるのは知っていたが
目眩がこのように恐ろしく酷いものだと知らず
メニエールだけではなく、目眩が持病の方達の
苦労と大変さを思う






正直に言えば、何事も自分が体験しないと
心から理解できない





今年、私は薬を大幅に変化させて、ホルモンの
数値としては10年ほど妊娠の状態であったのが
急にエストロゲンが枯渇した状態となった






薬の効果、変化とは自分でコントロール
していくことは難しい
医師と相談を重ねて探していくしかないのだ





関節は痛み、肌は極度に乾燥し、一本もなかった
白髪が数本増え、視力も急激に低下し
心も時に不安定だ





これは私の年齢としてはよくある現象でもあるが
私にとってたった数ヶ月でのこの変化は凄まじかった
いろいろあるが私の年齢にしては今までとても元気な
身体だったのだ





私はまだ更年期ではないがもうすでに同じ年齢
もしくはもっと若い年齢から始まっている人も
いる
決して少なくない人数ではなく、それはクリニック
へきている女性の人数を見れば明瞭だ





今日はいつものように早朝目が覚め起き上がれた
こうして画面を見ることができる





寝ていたので身体はひしひしと痛いが
吐き気も目眩もなくそれだけで心から幸せを感じる





女性が年齢を重ねていくとは時にとても厳しく
残酷に感じる
肉体が単に衰えるという事だけではなく心も身体も
自分ではどうしようもない症状が出る場合もあるからだ





まだまだ私自身の人体実験は続く
目眩になった時にはそんな気持ちすら起きず
こんな事はもう嫌だと投げ出したかった





更年期は全然なかった
そう言う方もいる
そうだったらいいし、私もそうなりたい





だがこれだけはわからない
ここ数日はサポートしてもらっている側だったのだが
年齢を重ねていく女性をサポートできる側になろうと
決めた





身体はもう少しのところだ
寝ていたので鈍く重い
だが今はここまで心が回復した自分を褒めたい





そしていつか同じように苦しむ誰かを助けられるように





2019年11月25日月曜日

土偶とバービー



土曜日の夜は夫とお酒を楽しむ事が多い
彼は仕事の前の日にはお酒は飲まないし
急に週末に仕事も入る事も多々あるので
共に楽しむ時間を大切にしている





お酒が入ると会話もスムーズになり
面白い方向に話が向かう事もある





いつものように私がコンサルティングの話しを
していると、夫が
ハイヒールが一番活きるのは日本人じゃないかと
思うと話し始めた





世界にはいろんな人形があるよね?
フランス人形やバービー人形
日本なら土偶でしょ?





え?日本人形じゃないんだ・・・
と思いつつ良い調子で話しているので
続きを促す





バービーがハイヒールを履くより
土偶が履く方がその違いが明らかになるよね
確かにバービーが履いても足が長くなるけど
もともと彼女は足が長いからね





土偶は女性として素晴らしい体型だと思う
ウエストがしっかりとありお尻も大きい
だけど残念ながら足が短い
でもハイヒールを履いたら足が長くなり
スタイルが良くなる





僕は自分が日本人だからかもしれないけれど
日本人女性を一番美しいと思う
だからあなたのような体型の日本人が
ハイヒールを履くのなら
スタイルの欠点が消え
欧米人より美しくなると思う
だから日本人がハイヒールを履くというのは
本当に素晴らしいと思うと力説した





なんとなく良い話し風にしているが
彼が私を土偶体型だと思っている事が
明らかになったのだった





だが夫が言うの事には一理ある
コンプレックスがあるのなら無くせばいい





私の場合は脚が自分の希望より短い事
骨盤が張っている為、お尻が大きい事





そのどちらも骨組みなので大きくは変えられないが
見せ方で変える事はできるし
考え方で変わる事もできる





私はジェニファー・ロペスが好きなのだが
彼女も大きなお尻の持ち主で世界中の女性
から憧れられている
あのお尻が欲しいと美容整形する人もいる





私のお尻はジェニファーのように素晴らしくは
ないがそうなる可能性を秘めている
何故その可能性の塊であるお尻を嫌だと思うのだろう





それは細いのが良いという思い込みによるものだ





そして短い脚にはハイヒール
これは救世主だ





ただ問題は、大きいお尻でハイヒールを履いただけでは
世界基準の身体にはならないという事





お尻に緊張感がなければ垂れ下がり
四角くなったり平らなお尻になる
大きければなおさら目立つ





ハイヒールもエクササイズなしで履けば
脚を痛めたり、間違った箇所に筋肉が付き
O脚が進行してしまい長くは見えない





何事も努力は必要だ
だがコンプレックスを抱えて生きる方が
辛いはずだ





土偶体型の素晴らしさを活かし
世界基準の体を目指す





そう誓った土偶体型と呼ばれた日




2019年11月23日土曜日

ハイヒールを探せ



 月に何回か仕事と打ち合わせ、勉強会などで
バスと電車を乗り継いで東京方面へと向かうが
ハイヒールを履いている方はほとんど見かけない





私が東京に到着する時間は大抵10時頃だが
それでもギュウギュウの満員電車であるから
ピークの出勤時間の東京は想像を絶する
混み具合だろう





だがそれだけ人がいるにも関わらず
ハイヒールの女性はほとんど見かけない
たまに見かけたとしても
朝は皆さんとても急いでいるので
残念な歩き方になってしまっている





ASAMI-PARISチームのメンバーは
東京の方が一番多い





私は横浜から東京行きの電車なので
きっとその中ではお会いする事はない
かもしれないが、東京都内で乗り換えを
する際にはもしかしたらすれ違う事も
あるかもしれない





その時があればきっとすぐわかるだろう





まずは美しいハイヒールを履いた女性
そして歩けば一発で間違いなくわかる
ASAMI-PARISメソッドの歩き方
これは間違えようもない





時々、朝のラッシュの中でハイヒールの女性を
見かけると、例えその歩き方が残念だとしても
ハイヒールを履いていこうというその方の心意気
を思い、すごい!頑張っている!と感心する





我が家から都内までは全部の時間を合わせると
片道2時間近くかかってしまうので
こうして毎日通勤をされているのは本当にすごい事
だと心から思うのだ





ただ、やはり残念な歩き方であるという事は
身体のどこかに負担がかかっているという事
でもある





もしかしたら忙しさのあまり自分の歩き方が残念
だという事に気がつかないでいるかもしれない





残念ながらほとんどの方がご自分の歩く姿を
動画に撮り見てみると、きっと胸がバクバクし
もうこれ以上は見たくないととても辛い気持ち
になると言っても大げさではない





そして、その後、美しく歩きたいと願うようになるはずだ





美しいハイヒールを履き
美しい歩き方をしている方を見かけたら
それはASAMI-PARISチームのコーチの可能性が高い






あなたがハイヒールを履いているのなら
美しいハイヒールを履き
歩く人を探してみてほしい





もし出会わなかったのなら
ASAMI-PARISのホームページを見てほしい





ASAMI先生の美しく歩く姿を見た途端
きっと恋に落ちたようなときめきがあるはず





私は先輩である美しいコーチがいるかもしれないと
ワクワクと東京行きの電車に乗っている





第一の目印は美しいハイヒールだ







明日のブログはお休みします
次の更新は月曜日の予定です


2019年11月22日金曜日

美しい家族



私のゴッドマザー
通称「ママ」は60歳の時に
フランスのルルドに巡礼に行った際に
同じく巡礼の旅に参加していた
通称「パパ」と出会い
遠距離恋愛の末、結婚した





ママはこの年齢の方には珍しい
バリバリのキャリアウーマンで
リタイアした後は国内外問わず
巡礼の旅をする事を趣味としていた





パパとママの年の差は10才違い
パパは奥さんを亡くしたので再婚になるが
ママは初婚であった





ママの友人たちは反対はせずとも
介護に一直線になっちゃうわよ
と言っていたらしい





ママはこの先が介護だとしても
神様が下さる時間の限り
共に過ごすと言い
しっかりとやり遂げた





そう、パパはママに見送られ
一足先に神様のところへと旅立った





パパとママとの時間が
長かったのか短かったのかはわからない





パパが病気になってしまった時にママは
それがいつかは神様が決める事だものね
と明るく言った
その気丈な明るさに私は胸がつまった





私がパパの姿を思い出す時
それは彼が手を合わせて祈っているところ





パパが祈ればなんでも叶うような気がした
だがパパは何を祈っていたのだろう





一昨日パパからの手紙がママから届いた





手は何もできない
けれども最後まで合掌できる
愛する全ての人のうえに
神の恵みを求めるために





私が祈る私自身の事のようなものではく
誰かの為に祈っていたのだ





私とパパとママは
血の繋がりはない
パパとママと私
そして時々夫





出身地もバラバラ
血の繋がりもない





だけど何かあるとママがいつも矢面に立ち
私に何か言う人に、時には噛み付き
いつも守ってくれた
パパはいつでも横で静かに微笑んでいる





以前、Asami先生のブログに
フランス語では義理の家族の事を
美しい家族と呼ぶとあったような気がする
それとも美しい娘だったかもしれない





ゴッドファミリーなんて言葉はあるのかな
だが私はこの家族を
美しい家族と呼びたい





遠くない未来に
私はママとルルドに旅ができたらいいなと思っている





美しい家族の始まりの地へ






美しい家族であるパパ、ミカエルに捧げる






2019年11月21日木曜日

ゴッドファーザー、パパからの手紙





最上の業





この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
喋りたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静に
おのれの十字架をになう





若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず
人のために働くよりも
謙虚に人の世話になり
弱って、もはや人のために役立たずとも
親切で柔和であること





老いの重荷は神の賜物
古びた心に
これで最後の磨きをかける
まことのふるさとへ行くために





おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはがしていくのは
誠にえらい仕事





こうして何もできなくなれば
それを謙虚に承諾するのだ





神は最後に一番よい仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何もできない
けれども最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に
神の恵みを求めるために





すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声をきくだろう





「来よ
 我が友よ
 我なんじを見捨てじ」と





ホイヴェルス随想集
「人生の秋に」より


2019年11月20日水曜日

思い込みの力


横浜に住み一年以上も経ち
生まれも育ちも横浜という方達と
話す機会が増えてきた





私の横浜の人達の全体的な印象は
好奇心があり
元気一杯で楽しむ事が大好き
物事をはっきりと言う
良い意味で空気を読まない





東京方面から横浜駅に帰ってくると
空気がグッと変わり
人が自由に歩きまわる




そんな風に元気な人達であるから
スピリチュアルな事はあまり必要
としていないのかと思っていた




だが生まれも育ちも横浜の知人に
何気なく少々スピリチュアルな事を
話すととても共感していた




横浜の人達はこう云う事は必要ない
と思っていたよ
と言うと
みんなプライドが高く
弱さを見せるのはカッコ悪いと思って
いるのでなかなか話さない
だけど内心は悩みが沢山で
でも話せないから
病んでしまっている人も多い
との事だった




確かにこの知人も出会ってから半年以上経って
色々話してくれるようになった





明るく見えても悩みがない訳ではない
それはどの人も皆同じなのだ





みどりさんと話すと元気になります
と知人は言った





人が元気になる
私がヨガを通じて得意としていた事は
すでに元気な横浜では需要がないと
思っていた





元気になったのなら良かったよと伝える
人の役に立つというのは嬉しい
ここでは役に立たないと思っていた事で





そして私もまた元気をもらう
力とは決して一方通行ではないのだ





思い込みの力とはなんと強いんだろう
私は思い込まない
フラットに物事を見ている
なんて思うのは傲慢だ





時にはその傲慢さで自分自身を傷つける






丁寧に丁寧に
ハイヒールで歩くように
思考の癖にも向き合おう


2019年11月19日火曜日

変化を感じていく


私はお菓子が好きだ
甘い物ではなくお煎餅やおかきが好きで
市場調査という名目で売り場を巡回する
ことを怠らない





定番商品は子どもの頃から味が変わらないと
感じるが、実のところ食生活の変化に応じて
消費者が気がつかない程度の改良を積み重ねる
ことによってロングセラーになっているそうだ





変わらない味は常に進化している
この事を知りとても感動した





何かにチャレンジしている時
途中で自分が停滞していると感じる事がある





そんな時
どうしてできないのだろう
努力が足りないのでは無いのか
時には
私には才能がないからと
投げやりになる事もある
そしてこんな気持ちになってしまう
自分を情けなく思う





本気であればあるほど落ち込む
どうでもよければ
もう辞めた、で終わる事だ





ここ数年、頑張らなくても良いという
言葉をよく聞く





この頑張らなくてもいいというのは
何も頑張らなくていいという訳ではなく
例えば、理不尽な扱いをしてくる人と
頑張って付き合わなくてもいいだとか
ブラックな企業で精神が壊れる程に
頑張って働かなくていいという事だと
私は思っている





ある人に
私が今頑張っている事について話した事がある





すると
今はそういう時代じゃない
頑張る時代じゃない
望んだ事はすでに受け取っているのだから
と言う
そうだね、そうかもしれないね
でも私は今頑張っているし頑張りたいの
受け取る為に頑張っていると返すも
頑張る時代じゃないんだと譲らない





頑張ると云う響きが嫌なのだろうか
努力する等、別の言葉に言い換えたら良かったのか





頑張りたいと言っているのに
頑張らせたくないという謎現象だった





変わらず美しい人とは変化し続けている人
それは努力と頑張りなしではあり得ない





だが美しい人というのは努力を前面に見せない
とてもスマートなのだ
それを見て生まれつき美しいから
私より楽だ等と勘違いしてはならない





頑張らない事も時には必要だろう
誰しも休みは必要だ
だが頑張らない事を許し続けるのなら
それはもう怠惰でしか無くなる





それでよければそこに留まればいい
それも選択の一つで恥じる事は全くない
それぞれの生き方、価値観があるから





だが、もし抜け出したいのなら
そこから頑張って抜け出していこう





どう抜け出したらいいのかわからない事
もあるかもしれない





だが抜け出したいと願うなら
必ず道が開ける
これは本当にそうなのだ





もし一歩踏み出せたなら
ここで、もう受け取っていると信じて進もう
誰しも力を持っているのだから




2019年11月18日月曜日

私の休日


私の休日は月曜日だ




札幌に住んでいる時には
夫の泊まりの仕事が最低でも
週に一回あったのだが
横浜に引っ越してきてからは
月に一回あるかないかだ




私たちは仲の良い夫婦であるし
贅沢な悩みである事も
重々承知しているのだが
10年以上あった
週一回は一人で過ごす日
が無くなったので
なんとなく疲れてしまう時があるのが
正直なところだ




そういう訳で基本的に
土日は夫と過ごす休日だが
月曜日は私の休日とする事にした




休日と言っても何をする訳でもないのだが
この何もしない事が私にとってとても
大切なのだった




今日の私の休日は
庭を見回り
ネイルサロンに行き
ランチとおやつを食べ
思う存分、本を読み
想像をめぐらせ
ヘンテコな歌を歌い
ダンスの新しいステップを少しだけ練習し
溜まっていた海外ドラマの録画を見た





暇な時間が苦手という方もいるが
私は身一つでいくらでも暇が潰せるタイプだ





特別ではない事をできる特別さが
私を癒す





私の中にいつも風を感じていたい
自由に通り抜ける風





風を感じて自由を満喫したら
本来の自分へとゆったりと還る





何てことのない日を過ごす
それが私の大切な休日


2019年11月15日金曜日

アウトプットの恩恵



週に2回ハイヒールレッスンとコンサルティング
を受講している
初めの数ヶ月は座学のコンサルティングだったが
後半になり癒しの時間は終わり、アウトプットが
始まった




今までも先輩方のブログを読んでいたが
アウトプットが始まってから
更に読み進めるようになり
Asami先生の過去のインスタグラムでの
先生や先輩方の動画も見漁っている




これまでのハイヒールのレッスンやコンサルティング
でも、自分の知らなかった弱点、想い、膿、喜び
様々なものを知る事となったが
アウトプットではそれらが更に目に見える形となる




自分のアウトプットの動画を見て思ったのは
予想以上に高い声
エレガンスと云うよりは元気
ハイヒールというよりはヨガやトレーニング





アウトプットの動画を見た後にAsami先生に
私はなんだか元気な感じで・・
と言うと




それはみどりさんの個性ですからいいんですよ





と仰った事があった
そう仰った上で、どう声を出していくか等を
ご指導して下さった




元気一杯の高い声は問題外だが
元気な気持ちになる落ち着いたトーンは
何かを指導する際の私の理想だと思った




自分やAsami先生やチームの皆さんの動画を
見ているうちに、自分の言い回しや語尾やトーンが
ヨガ界で使われる独特なものだと気がつき
ヨガのDVDや動画を見て確認すると
私が気がついた部分について多くのティーチャーも
やはり同じように誘導していた




これは小さな鏡で自分を見るように
自分だけの動画を見ていたら気がつかなかった事だ
ヨガだけを教えていたらわからなかった事でもある




どこに行っても初対面の人にもヨガっぽいと
言われる訳が、見た目なのか何なのか今まで全く
わからなかったが、もしかしたらこの話し方のせい
もあるのだろうか?とも思った




大体においてヨガっぽいって何だろう
妖艶な女性が、私はヨガ講師なの、と言おうものなら
とてもセクシーで、おお!と思うが、ただヨガっぽい
というのは女性らしいとは思えない




話が脱線してしまったが
苦行である動画を見る事で自分のなりたい自分を
知る事ができる




ヨガっぽく話す自分も悪くないかもしれない




ただそこに深みや落ち着きが加わったらどうだろう
そう思った時、これで良いと思える部分と
絶対にここは必ず治したいという部分がわかった




話し方というのは一朝一夕にでは変わらない
普段の話し方からも気をつけていき
ヨガっぽい話し方からエレガントな話し方へと
変えていきたい




あるいはエレガントな”ヨガっぽい”話し方に
変わるかもしれない





アウトプットの恩恵は今の自分を知り
理想の自分を知る事




理想の自分を知れば
後は自分を変えていくだけ





簡単では無いけれど
その努力に見合う価値がある行動だ







明日と明後日のブログはお休みします
次の更新は月曜日の予定です



2019年11月14日木曜日

伝えなければわからない


パートナーとのコミニケーション
私の場合では夫との会話である




とても優しく美しい方が
旦那様の話しになると顔を歪めて
嫌そうな顔をするのを見る事がある




家庭内別居とはよく聞くが実際

私の友人の中にも経験者がいる




喧嘩をした時などに口も聞きたくなく

なるのは痛いほどわかるが
私には決めているルールがある




喧嘩はその日のうちに終わらせる事

その日とは深夜0時までである
私の場合は眠るのが早いのでもっと早い




喧嘩とは大抵はくだらない言い争いが

ほとんどで
後から思い返すとなんで腹を立てたの
かもわからないほどだがとにかく
強情な気持ちになる




仲が良い時には良いのだが

喧嘩をすると最悪でもうほとほと嫌になる




謝りたくない時には謝らなくていい

だが私には謝るべき事が必ずあった
強情に謝らない時よりも
認めて謝ると楽になった




そして改めて言う

私はこんな風に傷ついた
だから強く言い過ぎた
ひどいことを言ってごめんねと




そうすると大抵

僕も悪かったよと夫も謝る




謝られた私はそれで溜飲が下がるのだ

実に単純な夫婦だ





だがこうなるまでには素直になれない時期も

沢山過ごしてきた





だが、縁あってせっかく一緒にいるのだから

無駄な時を過ごすのではなくより良い関係を
築こうと決めた




そうしているうちに私は許せる人間になった

何故なら相手も私を許してくれるからだ




男性と女性との違い

仕事の違い
育った環境
年齢
趣味




あげればきりがないほど私たちは

それぞれに違う人間だ




これは家族や恋人や友達だけではなく
関わりのあるすべての人に言える事




察して欲しいと云う考えは甘えだ
もし察してくれる人が共にいてくれる
ならそれはとても幸せな事




言わなくてはわからない
それは全ての人間関係の基本だ





2019年11月13日水曜日

2センチで変わる世界


私はものすごく挑んでいる
挑んでいるがそれとは反対に負けそうになり
劇画調な私が顔を出し
もうダメだ!と心が暴れる




その相手とは
クラシカルタイプのルブタン12センチである





レッスン前にAsami先生が仰る




みどりさん、その後ルブタンはいかがでしたか?




クラシカルの12センチの事である




正直にお伝えする





12センチとはルブタン様といった感じで
まだ他人行儀です




今、私が好きなルブタンは
プラットフォームタイプの12センチ




最高に美しい形
ピンクベージュの色も綺麗
安定感があるのに高さはあって
履き心地はクラシカルよりも優しい
何よりも履いた時の自分が美しく見える




ハイヒールに合わせるにはちょっと変な服でも
(この場合はヨガウェア)
プラットフォームを履くと
自分史上最高にスタイルが良く
尚且つカッコよくなってしまうので、レギンスと
タンクトップ姿のままでもつい足を入れてしまう




私の長いヨガウェア人生でこんなに自分が素敵に
見える事はなかった




クラシカルでも素敵なのだが
色がベージュな事もあり
断然プラットフォームが美しい
こんなに美しい靴が私に似合うと思える
私のプラットフォームはとても包容力があるのだ





だがここはやはり練習をしなくてはならないので
12センチのクラシカルに足を入れる
まずはなかなか足が入らない




他のルブタンに話しかける事はほとんどないが
何故か12センチクラシカルには敬語で話しかけてしまう




嫌なのですか?
なんだかすみませんね・・




初っ端から既に不穏だ




レッスンの際、特に左の母指球の力が入らない
右の腹筋が落ちる




繊細なヒールを通して
ルブタンがギリギリと歯ぎしりするのを感じる




Asami先生が仰る
筋肉の状態からすれば履けるはずです




だが私の心が怖気付いているのだ
私を容赦無くグラグラと振り落とすルブタン
文字通りグラグラで今日は一歩も歩けないかも
しれないと本気で思う




体も心も弱いところをピンポイントで暴かれる
悔しいとも思わない
もうダメだ!と逃げ出したくなる





たった2センチで世界が変わる





普段の生活で2センチを意識している人が
どれくらいいるだろうか




ジミー・チュウからルブタンへと変えた時
同じ10センチでも全く違った




同じだけど違うセンチ




ミリ単位で違うのだ
だからAsami先生はミリ単位で指導されている




日常生活をミリ単位にまで意識を向けていったら
世界は大きく変わるだろう





神は細部に宿る




ハイヒールの哲学を学び始めてから
何度も湧き上がる言葉





その世界を見たい
その世界を見に行く旅の途中なのだ




2019年11月12日火曜日

ASAMI-PARISセミナー 豊かさを生み出す思考術を受講して


着たいと思う服がないのにクローゼットが
いっぱいだと云う事について
いい加減うんざりしていた





では捨てたらいいじゃない?
と自分でも思うのだが
それがなかなか思うようにいかないのだ
それは勿体無いという気持ちが主な原因だ





使わない物は勿体なくはないとはわかっているが
なかなか決断できない





数年前からフリーマーケットのアプリが流行って
いて要らない物を手軽に売れる





友人達も沢山売買していて思わぬ物が売れるそうで
やってみたらいいと勧められたのだが
私には向いていなかった





だがこの自分には向いてない方法を知った事により
売れるかもしれない物をただ捨てるという事が
より勿体無い事と感じるようになってしまった





そういう訳でなかなか物が捨てられないでいた





先日、Asami先生のセミナー
「豊かさを生み出す思考術」を受講した





そこでも様々な目から鱗のお話しが聞けたのだが
数日後の今日、このクローゼットの要らないけれど
勿体無い物に対することへの思いを変える思考ができた





私のこの時の思考とは
断捨離ブームの中で言われていた事ではあったし
理解はできるのだが
はっきり腑に落ちていなかった





それは何故か?
豊かさという事が抜けていたからだ





Asami先生が仰る豊さというのは決して個人だけが
豊かになればいいというような事ではない





世の中に沢山溢れている
豊かになる方法
幸せになる方法
愛される方法などには
違和感を覚えることもあるがそういった事ではない





豊さを生み出す思考
循環する豊さ






個人が実践する事で社会貢献に繋がる考え方なのだ







2019年11月11日月曜日

可能性の塊


ここ数ヶ月、体のメンテナンスの為
整骨院に通っている





首の痛みがひどく左手の痺れが出た事
あちこち探して行った所の一つだった
だが、口コミの通りとても良かったので
症状が落ち着いた今も定期的に通っている





その整骨院は院長先生がゴルフの雑誌に
時々載る事もあり、怪我だけでなく体の
機能改善などにも力を入れていて
スポーツ選手やスポーツををやっている
患者さんも沢山通っている





そのせいもあるのか普通の整骨院となにか
雰囲気が違っていてそこも気に入っている





ある日遠くで誰かと話している院長先生
の声が、張りがあるのに穏やかでとても良い
声をしている事に気がついた




はっきり言えば彼の顔は少し厳つく怖そう
でそのギャップに驚いた
だがとても素敵な声なのだ
そしてその素敵な声でよく笑う




私の担当の先生も良い声だ
器械体操出身の若い男性だが知識も豊富
で親切な人柄そのものの声




院長も担当の先生も直接話している時より
カーテン越しに聞こえる他の人との会話で
良さがわかる




もう一人いる男性の先生もとても
穏やかに静かに話す




今日も整骨院へと行ったのだがいつもより
格別に先生達の声が心地よく感じた
いつもは感じない落ち着いた静寂までもがある




なぜだろう
いつもより患者さんが少ないからかなと思って
いたのだが違った
今日は受付の女性がお休みだった




いつもはその受付の女性が患者さんの来訪を
告げたり、電話の応対をしたり会計をしたり
するのだが、今日はその全てを院長や他の
先生方が行なっていた




受付の女性の声がないだけで場の雰囲気
がここまで変わるとは驚く




声の威力はコンサルティングで学んでいるが
身を以て感じたのだった




美しい声と話し方の持ち主である
Asami先生も満足する事なくさらなる
高みを目指しておられる




自分自身の声はコンプレックスであるが
変わる事が出来るという光を
コンサルティングで見せていただいている




ピンチをチャンスに変えるとは
夫の偉大なる元上司の口癖だ




私には変わるべきところが沢山あり
それを上手に言い換えれば
ピンチがチャンス変わる
私は可能性の塊なのだ




そんな事を考えていたカーテン越しの午前





2019年11月9日土曜日

パジャマのような服


肌寒くなったのでベージュのカシミア
セーターに着心地の良いヤクウール
ベージュのパンツを履いて出かけようと
した私を見た夫が




何だ、そのパジャマのようなファッションは!
と笑った




この上下は散々去年の秋から冬に着ていた物で
その時に彼がその服について言った事は
意識高い系ファッションだね!だった




意識高い系ファッションの定義はよく
わからないが、意識高い系からパジャマ
への急降下である




そんな夫のファッションはと言うと
買ったものの仰々しすぎたようで
何年も着ていなかったバーバリーの
ロングトレンチコートにウールのハット
美しいイタリアファブリックを使った
パンツとネクタイ
何だかディック・トレイシーのようだった




カジュアルな服装が多い夫だが
本当は時々は格好良く装いたい時も
あるようで、私に合わせてその思いを
封印していたらしい




横浜の私の友人の旦那様達も皆とても
おしゃれでその刺激も受けたようだった




仰々しく感じたロングのトレンチコートも
横浜ではおしゃれな人が沢山いるので
全くおかしく感じない




むしろ私のパジャマファッションが
浮き彫りにされた形だった




私が受けているコンサルティングだが
男性である夫もとても影響を受けている




女性がドレスを着てハイヒールを履くように
男性も格好良く装いたい




職場や周りとの関係や自分の立場
男性なら男性らしく
男なのにチャラチャラするな等
望んでいるファッションができないと
感じるのは、女性だけでなく男性も同じ
かもしれない




そうだよね
私が美しくなりたいように
男性だって格好良くいたいよね




パジャマと呼ばれた服を見下ろす
着心地は最高なんだけどな・・・




Asami-Paris的にも失格だなと
重ねて言われてしまったパジャマ服




気に入っていたのにな
でも、もうパジャマにしか見えない・・・





明日のblogはお休みします
次の更新の予定は月曜日です








2019年11月8日金曜日

境界線を越えていく



この一年でskypeがとても短かになった




Asami先生とのレッスンはもちろん
友人とのおしゃべり
そしてここ2ヶ月はご縁のあるタイの先生から
仏教とマインドフルネスの講座を受けている




宗教と政治の話しはタブーと言われているが
そのどちらもそれぞれの国や人を知る上で
とても大切な事だ
批判はいけないが知る事で理解できる事もある




巷で話題のマインドフルネス瞑想とは
ざっくり言うとシンプルに今に集中するという
仏教のような宗教的な手順や思考を取り払って
行う瞑想として普及している




この宗教を取り払うと云うところが万人に受け
入れられるところでもあるのかなと思うのだが
瞑想の指導を行っている事もあり、そのもとで
ある理論や哲学を知りたいと思うの仏教を
知ることは私にとって必要な事である




マインドフルネスでシンプルに今に集中する
頭がスッキリする
気持ちが落ち着く
など心と頭に効果がある




ではその先にあるものは何か?




それは境界線を越えて行くことにある




例えば自分にとって合わないなと思う人が
いるとして
それをマインドフルに今に集中して無視して
しまってもいい
それも間違っていない




だが自分を知る為にできる事がある




合わない人を何故嫌だと思うか見つめてみる
相手への感情を抜きにして見つめるのはとても
難しいが丁寧に流していき見つめる




そして自分が感じた事を見つめる
どうして嫌なのか




悲しかったから
怖かったから
傷ついたから




自分が見えてくる





その一つ一つに
自分が一番の味方になり
もう大丈夫だよ
と自分の胸に優しく手を当てる





簡単ではないかもしれない
でも相手ではなく
誰よりも自分自身の為に自分を癒す事で
その嫌だと云う感情の境界線を越える




何かにチャレンジすること
それは自分の境界線を越えて行くこと




どうして怖いのか?
それを見つめる




変わりたい
どうして変わりたいのか




その一歩を踏み出す時
それは境界線を越えて行くこと





いつでも最大の自分自身の味方である
自分が共にいることを知る