7.31.2020

褒められたい気持ち


今日は少しお恥ずかしい話しを
シェアしようと思う




私は生まれ育った環境やその後の
成長過程によるものか、人と自分を
比べるということがあまりなかった




だが沢山の挫折も経験もしたし
悔しさや悲しさで涙することも何度も
あったし、思い通りにならない事に
腹を立てたのも数えきれない




だが、苦しいその渦中にあっても
悩みが無さそうに見えるようで
苦労知らずと思われることが度々ある




私と親しい人はそんな事はないと
わかってくれているが、私にとって
悩み全開の表情をしていられる人が
逆に不思議なのだ




私は美しく才能に溢れている人が好きだ




だが世の中の多くの人はそうではない




不幸なニュースやゴシップ記事が人気なのは
大抵の人が自分より幸せな人が好きではない
証拠だと私は思っている




ある時、過去にあった辛い経験ゆえに周りに
優しくされ、何をやっても褒められている人
を見て、羨ましく思ったことがあった




最初は私もその人を元気付けたかった




だが、私とその人が同じことをした時に
毎回その人ばかり称賛されているのを見て
なんだか面白くない気持ちになっていった




私だってこの為に努力し続けていたのに
私は出来て当たり前だと思われるなんて、と




本当に子供っぽくて恥ずかしいことだ
だがそう思ってしまった




過去にあった辛い経験ゆえに優しくされた
それもそうかもしれないが、その人本人の
魅力で優しくされたのかもしれない




元気付けたかったなどとは
烏滸がましいことこの上なかった




こんな気持ちを親友に話した




すごく恥ずかしい話しなんだけどさ、と




そうすると彼女は
私もその気持ちわかるよと
全面に受け止めてくれた




彼女は何をやっても上手くできる人だが
人の何倍もの努力をしている
だからこそ上手くできるのだ




私の闇は消えた




だが私の中に確かにあった気持ち




褒めてもらいたい
認めてもらいたい




そんな気持ちを持つ事は
決して恥ずかしい事じゃない




だが努力もせずしてこの気持ちに
振り回されるとするのならば
それは健全ではない証拠でもある




本当の思いに気がつき
良いものへと変える力とする




これが私のちょっぴり恥ずかしい話しです




土曜日から月曜日のブログはお休みします
いつも読んでくださりありがとうございます




どうぞ良い週末をお過ごしください




7.30.2020

気づき続けていく



月に1回か2回ほど年長者の方達と
オンライン上で瞑想をしている




一番上の方はおそらく80歳近い方だが
オンラインという新しい形にも柔軟に
対応されていて、それどころか距離を
気にしないで良いとの事で参加者は
増えてきている




参加者の中には重い病気の方もいて
時には病室から参加されたり
同じ病状の方と思いを分かち合ったり
この時代だからこその交流ができている




私はヨガやお坊さん、修道院の方達
スピリチュアルな方達
様々な瞑想のスタイルや年齢の方達と
瞑想を共にしているが
一つ言える事は、その全てが間違って
いないということ




あのスタイルは良くないだとか
目覚めるとはこういう事だとか
本当にわかるとはこうだなど




瞑想を修業として生涯をかけて行って
いる方こそそう言った事は言わない




多くの聖職者の方にお会いする
機会があるが
修行に励み、瞑想をし
学びを深めている方ほど
言葉が優しくわかりやすい




話が逸れてしまったが
私達が現代の社会において瞑想する時に
長すぎたり、難しすぎたりして
やらなくなってしまうようでは
もったいないと私は考えている




たまの二時間より毎日の1分




日常の中で息をするように
瞑想があるということ




年齢を重ねた方達から
今日もまた新しい気づきがありました
との分かち合う言葉を聞く




一瞬一瞬に気づき続けていくこと
その積み重ねが心を育てていく



7.29.2020

聞く表情をコントロールする



ヨガの同期が話し方の講師になった




彼は現役のヨガ講師でもあるが
人と話す事が苦手であるが故
レッスンの前は瞑想のスタイルで時間まで
「話しかけるなオーラ」全開でいたという




彼とは今思うと縁が深く、2つの長い期間の
ティーチャートレーニングを共に過ごし
多くを語り合い、時にはぶつかり合い
笑いあって過ごしたが、話しが苦手だとは
思ってもみない事だった




先日、その彼の講義を二日間受講したが
とても素晴らしいものだった




まず最初に彼が告げた事は
大切なのは上手く話すことよりも
いかに相手の話しを聞くか




受講はオンラインだったので
話し手の顔だけではなく
自分の顔も映る




大抵の人の素の顔というのは
単に無表情というだけではなく
不機嫌にすら見える




何の意識もしない大人の顔とは
はっきり言って美しいものではない




楽しい話しを聞いて笑ったりするのは
当たり前のことで、そこには何の自分
で行う表情へのコントロールはない




意識して聞くと言うのは
表情すらコントロールして聞くのだ
と言うことを繰り返して伝えてくれた




Asami先生の仰る
自然体でいて美しいのは
動物と子どもだけと言う言葉と重なった




オンラインでは顔の表情を隠す事はできない




聞く時の表情が無意識にならないよう
コントロールしていく事
それは美しさとつながる事であり
画面の向こうへいる相手へのプレゼントとなる







7.28.2020

凛とした美しさと優しさ



本日は、Les Capricesの凛さんとの
Exchangeレッスンであった




9 Neuveの貴子さんのblogに時々登場
する凛さん
Bell passionYUKIKOさんが綴られる
凛さんへの思い
お二人から凛さんへの愛が溢れている




こんな風に皆さんに綴られる凛さんは
素晴らしい人に違いないと思っていた




いくつかの凛さんとのメールのやり取り
の中でも、暖かい心が文字になったように
心のこもったものをくださっていた




Skypeの画面を開くと
その心が美しい表情に現れていた




美しいだけじゃなく優しい
そして、どこか懐かしい感じがする
とても安心感がある




貴子さんとYUKIKOさんが
凛さんを愛する理由がひと目でわかった




凛さんのクライアントの方達も
きっと彼女を愛してやまないだろう




凛さんはASAMI-PARIS TEAMの
初代メンバーである




ASAMI先生の魂と技術を引き継ぎ
傲る事なく精進されて守っている




先輩である凛さんの肩を借りるような
思いでいたが、それだけではなく
先輩方が大切に守り抜いてきたものを
見せていただいた、そんなひと時だった




7.27.2020

世界中に共に学ぶ仲間がいる喜び


普段のんびりと暮らしている私にとって
4連休中、朝の6時半から夜の9時までの
講義はチャレンジであったがとても充実
していた




この講義は休日を利用して9月まで続くが
もう既に終わりが見えたような気がして
少し寂しい程だ




メンバーはカナダ、マレーシア 、台湾
シンガポール、日本からは北海道から
鹿児島、東北や関東と様々な土地から
総勢12名が集まった




海外勢は休日ではないので、働きながらの
参加で、特にカナダとは時差が大きく
画面上で寝落ちしている姿を仲間で見守り
オンラインならではの恩恵で、録画して情報
を共有するなど愛に溢れたメンバー達だ




大人になってからの学びというものは
自分の意思で選んで行う事がほとんどだろう




お金はもちろんの事
貴重な時間を投資した学びを
どのように生かすかは全て自分次第だ




今回のメンバーの海外勢は在住歴が人生の
半分以上という方達、そして日本勢も含めて
年齢も様々、職業も様々、ちょっとの時間の
隙間しかないがおしゃべりが楽しい




オンラインだからこそ知り合えた仲間達だ




Asami-Paris Teamにも同じ事が言える





様々な土地にいる同志達が
Asami先生から学んでいる




それぞれの土地
それぞれの生活
それぞれの事情
それぞれを抱えながらこうして集まった




仲間が言ってくれた事
ここにいる仲間は私の家族です




こんな風に思ってくれる仲間と出会えた事
ハイヒールをきっかけに志を高く精進して
いる美しい方達がいると知った事
今までの学びでできた愛する友がいる事




人生が美しく愛おしいのは
人との出会いの中にある




私は一生をかけて
世界中の人と共に学び続けるだろう






7.22.2020

座る姿勢と足捌き


瞑想をする時にはその内容に応じて
様々なスタイルで座るが
私は基本的に達人坐(シッダ・アーサナ)
という姿勢で座る




これは胡座より少し難しいポーズに
なるが、大まかな感じは胡座だ




ここ数週間、ヨガの師匠のオンライン
瞑想に参加する機会が多くいつもより
長めに座る時間が増えていた




胡座のような状態であっても腹筋を
引き上げ背骨を真っ直ぐにして瞑想
をするが、長時間が続くと腹筋が落ち
腰が曲がり、お尻と股関節に全体重
がかかり、骨盤は開く方向へと動く




朝に行う骨盤のストレッチを瞑想の後
再度行う事にして対処していたが
お尻が外側に張っている違和感があった




ハイヒールのレッスン中
脚を運ぶ際、脚が離れていますと
Asami先生からご指摘があった




脚が離れているという事は
膝と膝の間が空いているという事
これは決定的に美しくない状態だ




多くの方々は私のような座り方で
長時間過ごす事はないと思うが
椅子に座る際でも脚をしっかりと
閉じずに座っていれば
内側の筋肉はだらけ外側に開く




結果、脚の内側の筋肉が使えず
外側の筋肉ばかりを使うので
O脚の原因になるのはもちろんの事
膝と膝の間も開き、エレガンスも
失われてしまう




どのような座法で座るにしろ
美しく座る事はできる




油断して筋肉が抜けた状態で座った
結果の代償は大きい




明日から月曜日までのblogはお休みします
次の更新は月曜日の予定です




いつも読んでくださりありがとうございます
素敵な四連休をお過ごし下さい





7.21.2020

私がパワースポット


あなたは本当に運がいい
だから一緒にいる僕もいつも
ラッキーなんだと夫は言う




結婚する前から私は
私と付き合った人は出世するし
幸せになる、なぜなら私自身が
パワースポットだからだ
と自信満々で言っていた




私の謎の自信に押され気味で結婚を
した夫だが10年以上たった今でも
私といてラッキーだと思うのなら
根拠のないものが今では根拠となっ
たと言える




思い返してみると、何気なく放った
言葉が叶っている事はとても多い




だが何となく運がいいと思っていた事
には理由があり、そのように行動して
きた結果なのだ




そして凄いなと思う方達は
叶うように行動している




口に出した事のようになると知ってから
言葉の扱いに慎重になった




言霊という言葉があるが
言葉とは本当にパワーがある




言葉で勇気をもらい
時に言葉に傷つけられもする




ハイヒールで歩くとは全てが
コントロールを必要とする




言葉の放つパワーを知り
それをもコントロールするのなら
大きな力となるだろう




自分自身が大きなエネルギーを放つ
パワースポットとなる




2020年4月のblogより

7.20.2020

美しく目覚める


大賀ハスという名の蓮の種が
私の手元にやってきた




大賀蓮とは2000年以上前の地層から発掘
された三粒のうちの一粒を、植物学者で
ある大賀一郎博士が開花の成功をさせた
世界最古の花である




大賀蓮の種は通常の植物の種より大きく
殻がとても硬い




発芽させるにはヤスリなどで慎重に種を
削ってから水につける必要がある




三粒のうちの一粒が堅い殻を破り
2000年の眠りから覚めて咲いた




それには人間である大賀博士の努力は
もちろんの事、土や水や太陽などの環境
何よりもその種が発芽するという
縁があってこそ咲いた




仏教で言うと花は
物事をあるがままに見ることのできる
美しい清らかな心を表している




この世界で
美しい清らかな目覚めた者であろう
との意味づけが蓮にあるとのことだ




泥の中から美しく咲く花




その姿を褒め讃えられることは素晴らしいが
自分は偉くなったと高上がりするのは間違い
だとも説かれている




思いあがる事なく
だが自分を卑下することなく
美しく目覚めた者であるということ




悟りを得る事ができるなどと思う事はないが
決して傲る事なく、美しく目覚めていたい




そんな事に思いを馳せた
古代の花の種との出会いだった





7.16.2020

美しさ不足の世界


久しぶりに近所に買い物へ行くと
沢山の子どもたちが遊んでいる
ところへ遭遇した




女の子たちがスケートボードの
ようなものに乗っていたのだが
ある一人の女の子が発した言葉
その言葉のあまりの汚さに唖然
としてしまった




後ろに続く小さな女の子が
その言葉を真似しながら通り過ぎる




スーパーに入り品物を選んでいると
子ども連れのお母さんが
電話をしながら品物を選んでいた




彼女から聞こえてくる言葉は
恐ろしく乱暴で粗雑なもので
不良か何かか?と見紛う程だった




美しさのお手本になるどころか
暴力的な見本になっている




今週初めての外出、そして出る直前まで
沖縄に住む友人ののんびりと穏やかな声
と言葉を電話で聞いていただけに
そのギャップに衝撃を受け
胸騒ぎのような変な動悸がしたほどだった




見本となる大人の言葉使いがこれでは
美しい言葉遣いになりようがない




世の中の美しさ不足




私が変われば世界も変わる




そう信じるのなら
私の美しさが全く足りない
そういう事なのだ




金曜日から日曜日までのBlogはお休みします




次の更新は月曜日の予定です
いつも読んでくださりありがとうございます




7.15.2020

心を鎮める為に


思考とは絶え間なく動くものだ




もともと人間の思考とはネガティブ
に働く事が基本の動きだという事が
わかっている




それは私たちのルーツの進化で
わかるように、安全でない暮らし
の中で生き延びる為には楽観的
ではいられなかったからだ




命を守るためのネガティブな思考




だが現代の生活では
標準装備のこの思考は
邪魔になる事がとても多い




まだ起こってもいない未来のことや
考えてもしょうがない過去のことに
心を痛める




心を鎮めるためのマインドフルネス
瞑想や様々な瞑想があるが
心が乱れすぎた時に手っ取り早い方法
としては大きなため息をつくことだ




あまりにも心が乱れすぎている時に
では瞑想しましょう等と言われて
すぐできるのなら苦労しない




まずは大きな乱れを落ち着かせ
その後、日々の訓練を行うことだ




瞑想や修行を重ねている人ほど
瞑想ができない人の気持ちがわかり
そのアドバイスは優しく
誰もがわかる言葉で説明して下さる




心が乱れている時は
まずは大きく深呼吸する事




それすらもできない時には
大きくため息をついてみる




それが最初のアドバイスだ




無理矢理にでも
大きくため息をつく




ため息で大きく息を吐いて
その勢いで大きく吸う




息を吐けば
必ず吸うのだ




ただそれを繰り返す




その内にそれはため息から
大きな呼吸に変わっていくだろう




沢山呼吸をすれば
心は必ず落ち着く




生きている限り行う呼吸




呼吸をコントロールする事は
心を鎮めコントロールする事




まずはため息でもいい




日々の呼吸の意識を大切にする事が
心を鎮める事へと繋がる






7.14.2020

ラブレターを送りたい人


私はポーカーフェイスが苦手だ




楽しい時はシワシワになる程に笑い
悲しい時には涙が隠せず
そして、好きな人の前では
その気持ちを隠す事はできない




ハイヒールの師匠であるAsami先生の
レッスンを受けるたびにブログに綴る
インスピレーションがわく




コンサルティング中から
ほぼ毎週受けているにも関わらずだ




そしてふと気がついた




これは単にブログではなく
ラブレターのようなものだと




そして思い浮かべる




私がラブレターを送りたい人や
既に送っている人は誰かと




数名の顔が瞬間的に浮かぶ




思い浮かべて
なんだか面白いな、と思う




関わる時間や長さでもなく
直感的に思い浮かぶ人々




実際にこの思いが浮かんだ人たちへと
文字通りのラブレターを送る事は
ないだろう




だがきっと誰もが気がついている




言葉にできる思い
言葉にできない思い




なぜなら私は
自分の思いを隠す事ができないのだから




7.13.2020

小さな世界を見つめて


庭には睡蓮鉢があり
蓮とメダカ、大量の小さなエビが
共存している




メダカとエビは減ったり増えたり
を繰り返し、今はエビが優勢で
小さな鉢に多分100匹くらいいる




この鉢の中ではもう生態系が
できているようで、私が手を
加えなくても、小さな世界が
出来上がっている




1ヶ月程前、メダカの名人と出会い
深海という名の珍しい青いメダカの
稚魚が我が家にやってきた



青い稚魚達の為に新しく立ち上げた
鉢の世界は新しく、まだ私の手助け
が必要で、20匹ほどの青い稚魚達を
かいがいしく世話をすると大きくなり
早くも卵を抱えている個体もいる




だが三日程前から一匹だったり
二匹だったり、少しずつだが
数匹の青いメダカが死んでしまった




もともとある鉢に10匹ほどいた
赤いメダカは今は二匹しかいないが
エビ達が食べてしまうのか
死んでしまったメダカを見る事はない




大切にしているメダカが死んでしまう
のはどちらにしても残念な事であるが
目で見える形と見えない形とでは
感じ方が多く異なる
だが起こっている事実は変わらない




青いメダカを庭へと返す
いつか花や木の養分になるか
猫や動物が食べるかもしれない




赤いメダカはエビ達の身体となり
今も生きている




小さな鉢の中をのぞき
生命のサイクルを知る




私の命もこのサイクルの一部だ




わかっていても
そんな風に達観したかのような
ふりはできない




幸せ、夢、喜びの為
時にはもがき苦しみ
それでも美しく強く生きると誓い
時にはその誓いを自ら破り
何度も破壊と再生を繰り返す




宇宙の中では一瞬の命
だがそれはとても愛おしい命




目に見えなかったこと
目に見えること




小さな生き物が住む
二つの鉢の二つの世界



7.10.2020

私達が太陽になる


6月の下旬、久しぶりに会った友人の
インド人占星術者から
7/4から2〜3週間程後で惑星直列に
なるので、その期間中は気をつけた方
が良いと聞いていた




惑星直列とは太陽系の惑星が
ほぼ一列に並ぶ珍しい配置




太陽系の惑星の公転周期は様々なので
この惑星が一列に並ぶ事は珍しい現象
だという




天文学的には直列と言うよりは集合
という状態で、地球に何かを及ぼす事は
ないという事だ




だが私個人としては
何かイライラすると思いカレンダーを
見れば満月近くなどはよくある事であり
自然のリズムの中に身を置いていれば
影響を受けて当然だと思っている




友人からのアドバイスは
この期間は太陽の力が弱まっているので
起きたらまずは太陽を見る事




これは何時でも構わず
天気が悪くとも太陽を感じること
太陽を意識する事ということ




そして赤い服を着る事




10円玉など銅のコインを寄付すること

※例えばコンビニのレジ前にある寄付箱に
お釣りの10円玉を入れる等
海外であればチップに混ぜても良い




赤も銅も太陽のエネルギーである




弱いエネルギーでは履きこなせない
レッドソールのルブタンで歩く事は
とても効果的だろう




チップや寄付という概念は
日本ではなかなかわかりづらい
私もその一人である




だが感謝と共に自分のできる事を
社会に循環させていくという心




これからの時代はそれが必要と
なっていくだろう




この情報は多くの方にシェアして欲しい
そう言われていたものだったのに
なぜかできなかった




勇気を出すきっかけとなったのは
愛する師匠であるAsami先生である




私たちは必ず太陽に出会う




それは横にいる家族であったり
友人であったり知人であったり
同僚であったり
また師と仰ぐ人であったりする




私たち人間は太陽がなければ
生きられない




それは文字通りの太陽だけでなく
存在が私を照らし、勇気を得て
暖かな気持ちにさせてくれる人だ




占星術的にはこの非常事態は
来年の3月まで続くとのことだ




だがそれに落胆するのではなく
いつでも太陽を見つめ
私たち自身が太陽であり続ける
よう行動しなくてはならない




明日と明後日のblogはおやすみします
次の更新は月曜日の予定です




7.09.2020

未来のビジョンが自分を作る


自分の望む未来とは
既に実現している




人は頭の中で描ける事はできると
言うが、本当にその通りだ




この現実は私の願った事ではない
そう思う事もあるかもしれない




だが全ては自分の選択の連続で今がある




食べた物が自分の体を作るように
行動や思考が今の自分を作った




夢やビジョンが伴走し
今の私を導いている




時に軌道修正をかける場合もあるが
それさえも自身の奥底では
既にわかっていた事だろう




最近、心から思う事は
道のりの全てに感謝がなければ
上手くいかないという事だ




それは感謝をしないからではなく
感謝できない状態の心
その心が問題なのだ




私の周りにいる成功者は
努力は大前提として
とにかくどんな小さな事にも
目を向け感謝をしている




私から見たら感謝できるような事
ではない事ですら感謝に変えるのだ




それは偽善などというものではなく
心からのものでその視点に感嘆する




私の拙い思考では
彼らに到底及ばないが
私は憧れをまた一つ見つける




その憧れがビジョンとなり
もっと良い人間になりたいと
私を導いていく





7.08.2020

望んだ世界に変わる



どう生きるか
どう生きたいかと考える時
明確な理想はあるだろうか




例えば豊かに生きたいと考えた時
何を豊かとするのか




お金一つとっても
お金だけを追いかけても
お金がなくても
そのどちらも豊かとは言えないだろう




ここ最近は明るいニュースもなく
むしろ世界中が心配に包まれて
晴れやかな気持ちになる事はなかった




そんな中、タイムラインにある動画が流れ
何故か惹かれてクリックした





2012年にスペインのサバデル銀行が
130年を記念して行なったサプライズの企画
「歓喜の歌」のフラッシュモブだった




気がつけば涙が溢れていた





このような世界が必要だった




ちょうど先週、音楽と芸術のある場所や街に
身をおき、生きたいと願った
そしてきっとそうなるだろうと確信した




その世界がパソコンの画面を通して
目の前に流れてきた




世界中が苦しんでいる今
このような世界が必要だ




私は人を信じている
私たちは大きな力を持っている




私は豊かに生きたい
そして誰もが豊かに生きて欲しい




豊かの定義は人それぞれだ
そのそれぞれの豊かさが合わさった時
きっと素晴らしい世界になるだろう




2020年3月のblogです



7.07.2020

攻めと守りのエネルギー


初めてのタイプの方と
電話で会話をした




弁が立ちエネルギッシュ
大変丁寧な口調だが
こちらがまだ話しているのに
被せてご自分の話しをする




私は言いたい事の半分も言えず
苦手意識をその電話の相手に持った




なぜ苦手意識を持ったのか




それはエネルギッシュな相手に
太刀打ちできなかったからだ




電話の後、切り替えるべく心を整えた




だが、それは表面上のことだった
心の奥底では何かモヤモヤした
消化不良なものが渦巻いていた




そんな事があった日の午後に
Asami先生のレッスンがあるのは
とてもラッキーだと思った




一気に集中モードになる




そしていつもの弱点のポイントが訪れた




何度も何度も修正して頂いた後
何が問題点かが自分でもはっきりと
気がついた時




エネルギーで言うと守りに入っていた
という感じでしたでしょう?
攻めのエネルギーですものね




とAsami先生が笑顔で仰った




おっしゃる通りです!
と答えながら、その言葉に驚いた




ただ守りに入り電話の相手に
伝えたい事を伝えられなかった事




失礼に当たるかもしれないと
話しを中断させる事ができなかったが
被せて話してくる相手にも問題はあった




その結果、苦手意識を持ち、勝手に
被害者のような気持ちになったのだ




正直にもうその方とは話したくないなと
思っていたが、今度は大丈夫、そう思った




ハイヒールのレッスンで
身体が整えられ
マインドもまた整えられたのだ





7.06.2020

いつでも目の前に鏡がある


鏡を見る時はどのような時だろうか




ヨガをする時には鏡を見ない




鏡があるスタジオで行う時は
鏡のない方を向いて行う




レッスンの時には
心の目で自分を内側から見て下さい
そうお伝えする




外側から見ているインストラクターに
体をアジャストされ
内側から見た自分の体の感覚と
実際の体の感覚のズレを知る事になる
場合もある



練習を積むうちに、実際のズレも
自分で感じていくこともできるだろう




だができるかどうかは問題ではなく
知る事、認識する事が大切なのだ




ハイヒールのエクササイズや
筋トレやピラティス
自分で行う時には鏡を見た方が
良いエクササイズもある




だがハイヒールで外を歩く時は
時折窓に映る時を除いては
自分を見ることはできない




だが自分の目の前に鏡があるとして
そこに写っている自分はどう見えるか
それを心の目で見てみる




美しく歩いているだろうか
その自分の姿は好きだろうか
そこにはどんな自分が映るのだろうか




心もまた鏡に写すことはできない
それも自分の心の目で見るのなら
どう映っているだろうか




そこに映っている自分は幸せそうな笑顔
をしているのか
口角も下がり眉間に皺を寄せているのか
どのような場に身を置いているだろうか




鏡はありのままを映し出す
感情も抜きに
加工も修正もできない
そのままの姿を




時には見たくない事もあるだろう
鏡を見る時にだけ笑顔を作ることも
あるかもしれない
映る自分に衝撃を覚えることもあるだろう




だが、見ている時にも
見ていない時にも
真実の自分が映し出されている




映るのはいつでも自分自身だ






7.03.2020

ビジョンを叶える為には


誰しもなりたい自分や目指す目標など
多かれ少なかれある筈だ




私にも数年間ぼんやりとした形だが
ビジョンのようなものがあった




だが、それを叶えるやり方も
そもそもそれが何なのかも
はっきりと掴めていなかった




自分のことなのにわからないとは
何事かと思うがそうなのだ




愛するクライアントである C様が
blogを開設された




美しいC様はお人柄も素晴らしく
ユーモアもたっぷり
優しさもたっぷり
愛情もたっぷりな方だ




C様はご自分のビジョンのために努力
されているが、その中の一つのとして
blog開設とは大変素晴らしい事である




blogを綴る事により
自分でも忘れていた事や気持ち
自分は何を大切にしているのかが
見えてくる




C様のblog




Art de Vivre と言うフランス語には

「生きる事全てがアート」

また「自分らしく生きる」と言う意味もあるそうです。

日々の小さな美意識を大切に

自分の軸を確立し

自分らしく美しく毎日を過ごしたい

との思いから Art de Vivre と名付けました。

〜C様のBlogより引用〜




生きる事全てがアート




このような美しい思いを持つ方が
クライアントになってくださったのも
とても嬉しいが、何よりも一個人として
C様のような素晴らしい方と出会えた事に
感謝している




ハイヒールコーチにならなければ
この美しい方と出会うことは
なかったかもしれない




ASAMI先生のもとで学びだしてから
行動するスピードの大切さも学んだ




以前だったら少し考えるという名の
逃げの理由を探していた




だが行動すると逃げる事が
できなくなってしまう




もしかしたら失敗するかも?などの
思考はとてもナンセンスな事だ
そう思うならそれはそうなるだろう




やるだけやったら後は任せる
それくらいに自分を信頼できるように
やってみたらいい




実際、物事とはそうするしかないのだ




真にビジョンを叶えたいのなら





土曜日と日曜日のブログはお休みします
次の更新の予定は月曜日です




いつも読んでくださりありがとうございます



7.02.2020

嫉妬という感情


私には嫉妬という感情があまり無い




そんな事を言うと嫌な気分になる人
もいるようで、そんな話題になった
ある時に




「それはみどりちゃんがうまくいって
 いるからでしょう?」




と言われた事があった




もちろん私にも羨ましいと思う気持ち
はあるが、羨ましいと思う対象は大抵
尊敬や憧れの気持ちになってしまう




そして極端な面倒くさがりでもあるので
誰かについてあまりあれこれ考えたり
嫉妬したりもできないのだ




上記の人が言ったように決して
何でも上手くいっていた訳でもないし
上手くいっていた事については努力
していたのだ




だが、そもそも何故嫉妬という感情が
あまりないのかと考えてみると
歳の離れた美しく優しく完璧な姉の
存在が大きいからだと思う




もしかしたら年が近い姉妹だとライバル
になり得る可能性もあるのかもしれない




だが、私にとって姉とは姉妹だが
遠い憧れの存在で、嫉妬などという
感情を持ったとしたら、幼い頃から
勝ち目のない戦いを続けるような
ものだっただろう




私は聡明な子どもだった
姉の優しさと美しさをただ享受していた




PreludeのKateさんの三姉妹のお話しは
読むたびに温かな気持ちになり
子どもの頃の姉との関わりを思い出す




私の親友もとても美しく優しい人だが
時に嫉妬される事がある




私にしてみれば美しい人に優しくされて
嫌味な事を言える人の神経がわからないが
驚く事に世の中とはそういう人がいるのだ




美しく聡明な人たちが私を愛してくれた
おかげで、私は美しい人をただそのまま
美しいと素直に受け取る事ができる




美しさには嫉妬の入る隙間がないのだ





7.01.2020

マスク美人?




どこでもマスク必須の状況である




マスクが嫌いな方も多いが
今やマスクをする事がエチケットであり
本来の口を覆うためではなく
心をガードをする為につけている状態
でもある




以下は以前綴ったblogになります





最近のニュースで北海道知事は、マスクを
するとよりイケメンだという記事を読んだ
全く失礼な話しである




とは言え一応、どれどれと写真を見てみると
マスクをしなくてもハンサムな男性であった




今回のマスク騒ぎ以前から、日本ではマスクを
着用する人が多かったが、その中で聞いた事が
あるのが、マスクをしていると美人に見える
強気でいられる、守られている気がして安心する
などの言葉だった




だから今回の件で良かった事は、これで大手を
振ってマスクができるようになった、このまま
マスクの習慣が当たり前になるようになれば
良いなどと言っている人がいた




全く理解不能だ




以前、友人から、美人の友人が車でなかなか
合流させてもらえない時には、窓をスーッと
あけ顔を出すと、一発で入れてくれるという
話しを聞き感歎した事があった




早速、私も美人の友人と車に乗った際
窓から顔を出して!と言い、彼女が顔を出すと
当たり前にすぐ譲ってもらえた




それでは私もとやってみると
まあまあ上手くいったのだった




(※上手くいかない時、相手が女性の場合は
  私の美貌を妬んでいるのねと言い
  男性の場合は、私の美貌が怖いのねと
  言うと少し楽しくなります)




私は人が振り返るほどの美人ではない
だが、窓を開けてにっこりする女性に
車を譲らない事ができるだろうか?




私はできない




これは美人か美人じゃないかが
問題ではないのだ




マスクをしている方が美しいと思う理由として
目は色々と加工しやすく美しく作れる、鼻や
口や顔の輪郭は変えられないから、マスクで
隠しておけるからだという




制服を着ている時は素敵だったが、私服を
見てガッカリしたなどは、よくある話だが
マスクの場合は外せば顔が変わるのだ




美しくなりたい、美しく見せたい
その努力がマスクありきとは努力の方向が
全く違う




顔も体もコンプレックスを隠すのでは
解決しない




私はガッチリとして強そうな体なので細く
華奢になりたいと長年思っていた
だが私は痩せたとしても華奢にはならない
Asami先生に目を覚ましていただいてから
私の自分の体に対する思いは変わった




このコンプレックスを隠そうとダボダボの
服を着たのなら、私は自分が醜い体をしている
と自ら暗示をかけることとなっただろう




先ほど述べたように、私は人が振り返る
ような美人ではない
だが表情や立ち居振る舞いで見せ方は
いくらでも変える事ができるのだ




だが、欠点を隠すという心がある限り
残念ながら変える事はできない




今のこの時期、マスクをする事がマナー
のような場合もあるだろう




マスクをしている時の気持ちが
仮面舞踏会での仮面的なマスクと
欠点を隠したいマスクとだったらどうだろう




マスクを取ったらガッカリされるかも
しれないというような気持ちではいけない
マスクを取った私を見たいでしょう?くらい
な気持ちでいてみてはどうか




あまりにも自意識過剰に聞こえるだろうか?




私は良く恋愛について相談されるが、決まって
言うことの一つに、自分の持っているものを
最大限に使っていけという事がある




軽薄に聞こえるかもしれないが
それには顔も含まれる




生まれつき美しくてもただ美しいだけでは
全く足りない
表情が美しくなければただの人形で
人はいかに美しく見せるかが大切なのだ




美しい人たちはそれを知っている
美しい人たちはさらに磨きをかけているのに
マスクで隠して安心している場合ではない




顔はあなたの美しい武器になる
どんどん有効活用しなくては




マスクを取った私はもっと美しい
それくらいの気持ちを持ってほしい