2019年12月16日月曜日

瞑想のヒント


ヨガと言えばポーズ(アーサナ)を
思い浮かべる事と思う
だがヨガとは瞑想を意味する




ヨガのポーズ(アーサナ)をする事で
体がしなやかになり鍛えられるのは
間違い無いのだが
ヨガ=瞑想
が本来の意味である




瞑想の為、長時間楽に座れるようになる為
に行うのがヨガのポーズである




瞑想の為に座るポーズはどんなに難しそう
に見えるアクロバティックなポーズよりも
難しい




瞑想の為に座るとは、単に脚が組めるよう
になるだけではなく、姿勢も呼吸も心も
乱れない状態で完成する




背筋がまっすぐに伸び、ぐらつかず
痛みを感じず、快適に座れるようになる




ただし現代の生活ではなかなかそのような
身体作り、そして心を作る事は難しい





ここ数年の流れでヨガが他の運動と同じで
筋肉を動かし、汗をかきリフレッシュし
ストレスや運動不足解消のために行うもの
になっている





正確に言えばそれは単にヨガのポーズを
使ったエクササイズと分類されるが
それはそれで良いと思う





正しくやらなくては意味がないと言うのは
本当にその通りだが、それはヨガではない
などというのはナンセンス





どう感じるかは受け取る側が感じていく事
それも瞑想に通じる気づきの一つだと私は
捉えている




だがポーズの難しさや美しさを追い求めて
怪我をしないようにだけは気をつけてほしい




私の知り合いで、ヨガの難しいポーズができる
人を羨み、競ったりする人がいた




これは自分の内側に集中すべきヨガの効果を
感じられていないだけではなく
その場の雰囲気も悪くなるものだ




だが
「私は人といる時、こんな心の状態に
なってしまう」
と気がつけたなら
それはすでに瞑想の第一歩だ




瞑想とは同じ姿勢で何時間も座るというイメージ
があるかもしれないが、日々、気がついていくと
いう事が大切な事




もちろん長時間座る事でしか得られない事が
あるのは事実だ




私は年に数回、長期間の瞑想の為に修道院に
お世話になっている
ヨガの講師としては珍しい瞑想の環境かもしれない




食事や掃除もシスター達がほとんど姿を表さずに
お世話をして下さるので、私は一切の身の回りの心配を
せず瞑想だけができる





仏教寺院やその他の施設の瞑想の経験も幾度もあるが
修道院という環境が私には一番合うようなのだ
特にイタリアの教会は波長があうと感じる場所が多い
のでそういう理由もあると思う




このように自分だけの聖域での長期間の瞑想が必要な
場合が私にはある





だがそれはその先の事で、負担が大きいあまりやらなく
なってしまうのは意味がない





まずは取り掛かりやすいやり方
日々実践しやすいやり方で行なっていく事
そんなヒントをお伝えしていきたいと思う




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