7.23.2019

断念したと思っていた


私は以前、ブラジルの格闘技であるカポエイラをしていた

格闘技と言っても、音楽とダンスの要素が合わさり
相手に直接技をぶつける事はない


運動神経があまりよくない私も楽しめて
カポエイラでは必須である
ポルトガル語の歌も夢中で練習していた

仲間と昇段審査に合わせて
師匠のいるブラジルへも行った


数年楽しい時が続いていたが
冬の寒さになるとだんだん首が痛くなり
疲れると左腕や左半身が痺れ
ひどい時には眠れないほどだった


診断の結果は頸椎が思った以上に悪く
安静にして、最悪は手術しかないと
当たり前だが全てのスポーツを禁止された


その頃は同時にハワイのダンスであるフラもしていたので
カポエイラとフラを同時に辞めるしかなかった


のちにフラは先生の好意でマダムのクラスに入り
ゆったりとできる範囲で続けたが
回転の動きがあるカポエイラは
続ける事はやはり出来なかった


ほんの数日前
カポエイラの歌が不意に口から出てきた


もともと私がカポエイラを始めた理由は
ホーダと言う
みんなで円になって歌い
その真ん中で二人が戦うという経験だった


二回目の体験レッスン中だったのにも関わらず
教えてもらったばかりの技を
円になっているみんなに囲まれた中で
披露するのはとても緊張するし
なんだか恥ずかしいことでもあった


だがそんな思いは吹き飛んだ
楽器や手拍子
みんなのお腹から出る大音量の歌声に
後押しされるように
身体の奥底から力が湧き上がって夢中で動いた



ブラジルでは子供からお年寄り
障害のある人もカポエイラをする


日本でカポエイラをしている
お年寄りは見たことがなかった
30代後半だった私が年長者だった


派手な技ができる人がうまいと言われ
それをみんなもやりたいと思う
これは当たり前だ
誰でもかっこいい事をしたい


だが同時に
沢山の歌を歌える人
楽器がとても上手な人も尊敬を集める


運動神経があまり良くない私が
カポエイラで楽しんでいたのは
エネルギーだったと気がついた


出来ないことの方に囚われて
その思いを封印していたのだ


不意に口から出てきた歌は
そのエネルギーのカケラだった
私の奥にあるエネルギー
まだここにあるよと私に伝えてきたのだ


その後しばらく私は歌い続けた
ひどい発音とひどい音程
めちゃくちゃな歌詞でもかまわずに


出来ない事はプライドを傷つける
だから目を覆う
なぜ出来ない事ばかりに目を向けるのだろう
100の賛辞より
1の批判に目を向けがちだ


出来ないことは努力し
そして自分が出来ることは認め喜びたい


断念したと思っていた事は
私が勝手に諦めていた事だった
出来ない事ばかりに目を向けていたから


自分に光をあてるのは
自分自身にしか出来ない
私のカケラはまだまだ沢山ありそうだ






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