3.11.2021

あの日、あの時



一年前の今日
私は札幌の友人のカフェにいた




カフェには私の友人や知人もいて
私は英会話のレッスンを受けていた




地震のあまりない北海道での揺れは
珍しかったのだが、正直に言って
そこにいた私たちには事の大きさは
よくわからなかった




時間が経つにつれて
私は多くを知るようになる




その頃、私は毎年ハワイにサーフィンに
行っていたのだが、一緒に海岸を歩いている
ロコが、溜まっている漂流物を指さして
あれは日本から来たんだよと教えてくれた




数年後、仙台の修道院で出会った高知県
出身のシスターは今も大きな被害のあった
釜石に住み、その様子を話してくれた




同じく仙台で会った方は家が無くなった
話しを話ししてくれた




私は情けないことに返す言葉が出ない




そして次の日には
自分の日常と些細な悩みの世界に
いとも簡単に戻っていく




些細なことを思い悩むのは
贅沢だろうか?
確かに大きな悲劇に比べれば
そうかもしれない




だが忘れてはならない事がある




月並みな言葉だが
当たり前の日常は決して
当たり前ではないということ




特別ではない今日は
いつも特別な今日であるということ



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