4.15.2021

縁に触れる



瞑想仲間であり
ヨガ仲間でもあり
仕事仲間でもある
クリスチャンの友人が
この春から神学校へと通う事となった




男性社会である神学の世界へ
女性である彼女が通う




私も4月から大学で学んでいるので
お互い学生だねと笑いあう




この春から彼女は障害者の方達との
仕事も掛け持ちし
小学生の勉強を放課後に教えるボランティア
田んぼでの農業活動を行い
隙間時間で海へとダイビングへ出かけ
月に数回、瞑想の会も開催している




月に2〜3名の参加者だった彼女の瞑想会は
コロナ渦でオンラインへと変わり
日本全国、沖縄から北海道まで参加者が増え
有志の通訳の方の協力もあり
今では海外の方の参加者も増えた




これだけの事を行いながら彼女は
念願であった神学校へ行くという夢も叶えた




彼女とはまだ私が札幌に住んでいる時
カトリックの神父様が開催している
修道院で行われる黙想会で出会った




ヨガ講師という共通項もあり
彼女もたまたま横浜在住であったので
私がこちらに引っ越してからは
一緒に仕事をする事となり
まさに神様が引き合わせてくれたような
友人となった




50代である彼女と出会ってから
私は年齢を一切言い訳にできなくなった




先日、彼女を含めた仕事仲間4人に
私の夢を語った




日本の隠れキリシタンの歴史を
イタリア語で紹介すること
(私のひそかな研究課題なのです)
彼女の瞑想会をイタリアと繋ぐこと
瞑想会を行う場所はアッシジと決めたこと




私が口に出した事は叶うので
敢えて言葉に出すんだと豪語すると
本当にあなたってそうだよね!と
アッシジに行こう!と
口々に賛同してくれて士気がさらに高まる




先日、私の親友が教えてくれた言葉
「縁に触れる」




私を形作る様々なことは
こうして素晴らしき人との縁に触れながら
美しく織り成されている




只今blogは不定期で更新しています
お知らせはinstagram でも行っています







4.13.2021

二兎も三兎も得る



二兎を追うものは一兎も得ず
という言葉がありますが
私はいつも二兎も三兎も
追い続けています




仮にことわざ通りに
得る事ができないとしても
私にとってそれ以上に怖いのは
動き出さないことです




例え人にどう思われても
興味がある事を知りたい行いたい




それなのに
変な義務感を持ってしまう時
私は私らしさを失います




ソクラテスが自分を評した言葉に
「一人ひとりにどこでも付いていき
話して吟味する事をやめない者なのです」
とあるのですが、その言葉を夫は
まるであなたのようだねと笑います




この数ヶ月
環境の変化もあり忙しさの中で
私らしさを忘れて吟味もせずに
私にとって簡単で楽な選択を
しようとしていました




シンプルに考えれば
簡単で楽になるとは良い事ですが
楽だけを求めて選んだ場合
私にとっては私らしくない
自分を誇れない選択の仕方です




だからと言って苦しむのも嫌ですが
自分の心には嘘は付けませんし
ついたとしても自分は知っていますから
向き合い続けモヤを晴らすしかありません




私は決して器用ではありませんが
誰かの役立つ事で
自分をも助ける仕事をしながら
様々なことに興味を持ちながら
夢を追い続けていきたいのです




モヤから抜け出すにはあと少し
時間がかかりそうですが
私はこれまでの人生の通り
二兎を三兎も追い
二兎も三兎も全てを得て行きます