3.31.2020
skypeでの可能性
学校の休校に始まり、外出自粛
多くの人が家にいる時間が増えた
私はもともと引きこもりが得意だが、その私で
もこの状況は、活動的な人にとって厳しいもの
だろうと感じる
実際ヨーロッパなどでは家庭内での問題が
増えたとのニュースも目にした
発散できないエネルギーを家族にぶつけるのも
ぶつけられるのも不幸でしかない
宇宙ステーションで一年を過ごした宇宙飛行士
の方からの閉じこもり生活のアドバイスを紹介
したい
○日課を持つ
いつ終わるか分からない中で、予想通りになる
ものが必要だ
日課を決める事、決まった時間に起き、眠る事
そして心身のために運動する事
○使命を見つける
外出しないことは、私達が他の人を守り
医療関係者を守り、そしてこの試練を成功裏に
乗り切るという使命を共有している
後退してはいけない、何かをやり遂げること
○新しい事を始める
新しい事を始める事、読書やいつもと違う音楽を聴く
日記を書く、絵を始めるなどだ
そして何よりも先の事を考えすぎない事
○やる気が失せるのは当たり前
やる気が失せて生産性が落ちるのは当たり前だ
それは弱さの現れではない
問題を抱えているところにさらに罪の意識を
加えてはならない
同氏が勧めるのは、1つないし2つの活動を選び
一生懸命に打ち込む事
ダンベルやヨガ、ズンバ、空間があまりなくても
体調を保つ方法はある
○人とのやりとりを欠かさない
人と互に連絡を保つことは例えネット上の
通信だけに限られるとしても極めて重要だ
ネット環境さえあれば行えるものが
世の中に沢山ある
運動不足解消はもちろん知的好奇心を
満たす為に行えることも沢山あるだろう
私は既に数人の友人にオンラインの英会話
レッスンを進めた
そして私は以前訪れたイタリアのヨガスタジオ
が急遽はじめたオンラインのヨガを受けた
このオンラインのヨガは、講師が横向きのまま
淡々と動き、こちら側は質問できず、特に指導
もしないという単に動画を見ているような状態
でクオリティも高いとは言えないが、同じ時間
に多くの人が集まって同じ事を行うという意義
がある
私はヨガ講師なので自分でヨガを行うことが
できるが、人と人とが集まることで得るパワー
は必ずある
もしもロックダウンになれば、この方式で
皆が集まる場所を提供してもいいかもしれない
と思った
だが今、最もお勧めしたいのはやはり
オンラインでのハイヒールレッスンだ
このレッスンで得られるものは
美しい姿勢
美しい足捌き
美しい脚の筋肉
美しく歩くこと
そして何よりもレッスン中は
美しい時間が流れる
ASAMI-PARISには個性豊かなコーチ陣が
揃っており、どの方にお願いするか迷って
しまいそうなくらいだ
Skypeでのレッスンとはどんなものだろう?
イメージが湧かないかもしれません
心配しなくても大丈夫です
コーチに連絡を取り
あとはレッスン時間まで待つだけです
新しい扉を開くことは
あなたの可能性を開くこと
どうぞ直感を信じ、新しい事を楽しみに
はじめて下さい
3.30.2020
メッセージを受け止めて
HermitageのHiromiさんのBlog
繊細な一歩を決めた貴方へを拝読し
これは卒業するHiromiさんからの
メッセージだと受け取った
新たにお二人の方が ASAMI-PARISの
チームに入られるとのこと
少し前に草子さん、めぐみさんのお二人
もチームの仲間になった
この新しく入った方達やこれから入る方達
へのメッセージかもしれないと思いながら
だが、この愛でいっぱいのメッセージを
私は受け取った
Ravissanteの愛さんも
愛する同志HiromiさんへでHiromiさんへの
想いを綴られているが、きっと多くの方が
Hiromiさんのメッセージを受け取られたと
思う
同じ週に卒業というのにも驚いたのも束の間
さらに時期を早めて旅立つHiromiさん
La luneの草子さんも綴ってくださっていたが
私もHiromiさんの少し早くなった卒業を思い
寂しさと心細さを感じる
私の前を走るHiromiさんがいてくれたので
私は心強かった
どんどんと美しさを増し
勇気を持って綴られる知的で愛のある文章
文字通り、Hiromiさんは走り抜けていく
Hiromiさんのある一文が
私の心に深く深く染み、目が潤む
もう読めないというその一文を胸に刻む
このように美しく知的で勇気と愛のある方だ
美しく大きく羽を開き、世界で活躍されるだろう
寂しさは変わらないが同時にとても楽しみだ
いつかお会いできる時に向けて
私も美しい幹を育てていきます
みなさま、残りの約1週間
Hiromiさんの世界を堪能されて下さい
3.27.2020
コールスローを作る時
今日はスーパーに買い物へ行こうと
計画していたが、都知事の会見の後
東京でまた買い占められている所が
あると聞き、行くのを辞めた
ここのところ、週に二回は
コールスローを作っている
我が家のそばで葉山で採れる野菜を
トラックで売りに来る方がいるので
新鮮なものが手に入り野菜が好きな
私はとても嬉しくなる
コールスローとは私が大好きなサラダ
の一つで、良いキャベツが手に入ると
作りたくなる
大量のキャベツとニンジン、セロリ
きゅうりを無心でひたすら千切りに
する
ミネストローネも作る事にした
こちらも大量の野菜を刻む必要があり
ひたすら刻み続ける
ミネストローネを作る際には、私なりの
こだわりがあり炒める順番や水をいれる
タイミング等を見ているとあっという間
に時間が過ぎていく
終わりに近づくとまだ物足りず、先日思い
ついた新しいレシピでニンジンのラペも
作りたくなりまた千切り作業に戻る
ついた新しいレシピでニンジンのラペも
作りたくなりまた千切り作業に戻る
この2週間はこのようなパターンが多かった
サッとできるものではなく、作業の過程が
多いものを作る
料理は音楽をかけながら楽しく作る場合と
ただひたすら無心で作り続ける時があり
最近の私は無心なことが多かった
リフォームで一番こだわったのがキッチン
でありここからは庭がよく見える
最近は外出の機会も減ったので、明るい昼間
からキッチンに立ち、時々庭を眺めながら
何時間も作り続ける事が増えた
イタリアの方達も、ここぞとばかりにトマト
ソースを作り、粉を練り、焼いているそうだ
ストレスの対処法とはそれぞれだが、私は
料理をする事で頭の整理がされ心が落ち着く
料理とは私にとって瞑想のようなものであり
夫も喜ぶというおまけ付きのものである
明日と明後日のブログはお休みします。
次の更新は月曜日の予定です。
3.26.2020
愛と光
愛と光という課題をAsami先生から
頂いた
このテーマについてはいろいろな方面
から考える事ができるように思う
今、思いつくのはコンサルティング卒業
を視野に入れながら過ごすこの日々の事
現在、対面で行うレッスンが難しい状況だ
しばらくの間はジムやヨガスタジオなど
複数が集う場所は難しい場面もあるだろう
そんな事をぼんやりとは考えてはいたが
Asami先生はそこも視野に入れて私の計画
を立てて下さっていた
そう、いつでもこうして考えて下さっている
親が子を思うように
パートナーが相手を思うように
上司が部下を思うように
先生が生徒を思うように
親やパートナー、上司、先生、これらの人々の
全てが素晴らしい人格とは正直に言えない場合
もある
だが、私は時々思うのだ
この素晴らしいとは言い難い人々に会った時
この人達には正しい見本がいなかったのだ、と
頭の良い人はそこで気がつき、自分はそうなる
まいと自らで学び、別の道を進むだろう
だがそうでない場合は気がつかず、見本のまま
に進んでしまう
私もそのうちの一人だ
例えば声について
Asami先生に指導してもらうまで声の出し方など
気にした事もなかった
せいぜい時々耳にする動画などでの自分の声に
変な声!と思うだけでそれを改善しようとする
事など思いつかなかった
今でも自分の声にギョッとするのは変わらない
が意識し続ける事でいつか変わるに違いない
メールの返信、立ち方、振り向き方、話し方
上げ出したらキリがないほどだ
だが決して型にはめる事なく、私が最大限に
力を発揮できる方向へと導いてくださる
理論と哲学は変わらないが
全員同じの通り一辺倒の指導ではない
それは愛と光だ
妊娠中のあの美しいAsami先生の姿を
今でも鮮明に覚えている
どんなに大変だったか私は知る由もなかった
普通に考えたら大変に決まっているのに
それを微塵も見せない
プロ意識などという言葉だけでは
片付けられないだろう
それはクライアントへの愛
私たち生徒への愛
そして仕事への愛
その愛を見る事で
私たちは光も見る
光には必ず闇がある
人は光の中で動き、闇の中で休む
この世の中は陰陽の世界
太陽だけでも月だけでもない
私は夜が苦手だ
いつでも朝が待ち遠しい
まだ暗いうちに起き
太陽が昇るのを見ている
そして光が広がると
やっと心から安心するのだ
ここ数ヶ月、私は自分がどうなりたいのか
どう生きたいのかを日々自問してきた
その思いは日々変わる
だがその変化を受け入れる事ができるのは
愛と光で伴走をしてくださるAsami先生が
いたからだ
私ができる事はこの愛と光をさらに循環
していく事で社会貢献する事だ
一人一人の力は大きい
そして光とは物凄い速度で広がるのだ
3.25.2020
暮らしの中にある喜び
庭全体が生き生きとして満足のいく眺め
だったが見ると雑草も沢山育っていた
高さのあるものはカラスノエンドウという
とても可愛い花が咲くものだ
私は子供の頃からこの雑草と呼ばれている
可愛らしい花が好きだった
個人的には咲かせたままでいたいが
繁殖力の強いこの草は庭を覆い尽くし
タネを飛ばすので、芝生を持つご近所の
迷惑となってしまう
もちろん我が家も芝生なので抜かぬくて
はならない
タネを作り出した花も切らなくては
ならないのでそれも兼ねて手入れをした
カラスノエンドウ、オオイヌノフグリ
名前は酷いが小さくてとても綺麗な花々
雑草の中には、私の好きな花が沢山あり
時間を忘れて花束を作って遊んだ子ども
時代を思い出す
あの頃から好きなものはずっと変わらない
と小さな庭を見て思う
私はある意味で夢を叶えた
カラスノエンドウの花言葉は
喜びの訪れ、未来の幸せ、小さな恋人たち
私の庭には喜びの訪れが確かにある
3.24.2020
広がる世界
初めての海外ドラマは
フルハウスだったか大草原の小さな家
だったか、もうわからない
どちらも何度も再放送があった人気の
番組だからだ
ビバリーヒルズ青春白書(懐かしい!)
で海外ドラマを好きになった人も多い
かと思う
私もそのうちの一人だ
今では数え切れない程の海外ドラマが
見られるようになり、アメリカだけで
なく、イギリス、ウクライナ、チェコの
ドラマを見ている
何回も繰り返し見るお気に入りもあれば
一回で満足するものもある
映画と違ってシーズンが続くものは
数年間に渡るので登場人物の成長も見ら
れるのでファンとしては嬉しい限りだ
海外ドラマ好きの間で、シカゴシリーズと
して人気のシカゴ・ファイア、シカゴ P.D.
シカゴ・メッド
ここ数年はCSI科学捜査の大ヒットの影響か
犯罪捜査もののドラマが多いが、特にこの
シカゴシリーズは骨太な作品で、全く気楽に
見る事はできず、常に緊張感がある
私はシカゴに行った事がないので、シカゴ
とはこのようなところなのか・・とドラマ
を見て思っていた
ASAMI-PARISチームに新しく仲間入りされた
Aubadeのめぐみさんがシカゴ在住とお聞きして
すぐに思い出したのがシカゴシリーズのドラマ
とミュージカル映画 CHICAGOだった
ドラマや映画を見る限り
シカゴとはとてもタフな印象だった
その後、instagramでめぐみさんのポジティブで
美しい笑顔を拝見し、今まで抱いていたシカゴ
とはまた別の印象を受ける
ASAMI-PARISのチームには海外在住の方や
国際結婚されている方、海外出張の多い方
とにかく世界で活躍されている方が多い
語学一つとっても、私は英語が話せないなど
そんな言い訳が通用しない世界であり、英語
どころかまた別の言語まで操り、全く違う文化
の中で仕事をし生活されているとは想像のつか
ない程の努力の日々をされていると心から思う
もちろん日本国内で努力されている方も沢山
いらっしゃり、BellepassionのYUKIKOさんが
毎日綴られているブログと美意識にも感嘆する
恥ずかしながら私はここ数年間
頑張らない事を頑張ってきた
確かに私にはもう頑張らなくていい
という時期があった
だがその時期が終わっても尚
頑張らないでいた為、努力する事を忘れた
チームの方々が生きる世界をシェアして
くださる事を日々、目にし
私のぬるま湯のような世界を思った
私はぬるいお風呂が好きだ
生きる上でも元来怠け者なので
ぬるま湯が好きなのだろう
だが凛として生きるチームの方々の発信される
世界を目にし、私の中の何かが世界を感じたい
と私に告げる
HermitageのHiromiさんのblogを拝読し、世界の
ニュースを読むようになったのも一つの変化だ
世界では小さなボーダーラインでも
私にとっては大きなボーダーラインを
恐る恐る超えていく
超えたその先にはまた超えるものがあるが
前ほどには怖くなくなっている自分を見る
強さと美しさと知的さ
これが私が惹かれるもの
広がる世界の中にこれらを見る
新しく増える仲間に喜びを感じながら
3.23.2020
海を感じて
週末は海を見に出かけた
まだ暗い内に横浜から江ノ島に出て
相模湾沿いを走り、途中、思い付き
で箱根に入り、また海岸線へと戻り
海を見ながら東伊豆へと向かう
急に気温が上がった日でもあり
太陽が高く、今まで見た海よりも
蒼くキラキラしていた
私は運転が好きなので夫と交代で
海を楽しむ
天気が良かったせいか車や自転車も
多かったが、地元の方の話では例年の
半分以下で、一つのホテルでは8,000件
のキャンセルが出たとのことだった
地元の方達とお話しする機会もあり
震災を乗り越えてやっと軌道に乗って
きたところだったんだけどね、だけど
また乗り越えますよ!と仰るのを聞き
心配な筈なのに明るく振る舞われる姿
に私たちも踏ん張らなくてはと思う
帰りは西伊豆にまわり、駿河湾から
富士山が現れると歓声をあげる
神奈川県は、全く富士山に跨っていない
にも関わらず、我々は富士山のお膝元に
住んでいるからねと言い、静岡県民の友人が
聞いたら、それは違う、ときっと言うだろう
今度会ったら言ってみようとくだらない事を
言いながら笑う
久しぶりの開放感と楽しい気持ちに
ここ1ヶ月のこの状況が自分で考えて
いたよりもずっとストレスに感じて
いた事がわかった
自分でできる事を最大限に行い
希望を捨てず、夢を持つ事
笑う事、話す事
上手くいく事ばかりではないけれど
毎日を過ごせることに感謝して生きる
久しぶりに息抜きできたような週末だった
3.19.2020
映画を超えた世界
昨日のblogで
Asami先生の美しき世界を綴ったが
先生のBlog、美のコンシェルジュを
読み、このような世界とは一体・・
と窓から空を見上げた
映画のような世界とは言うが
やはり映画とは作られたものだ
生きながらにして、普段の生活を送り
ながらして、このように生きるとは
映画のように、というような形容では
もはや足りない
映画の方が、Asami先生のような世界と
言うべきではないだろうか、と頭の中
がぐるぐると回る
目の前でコーヒーを飲む夫にblogを読み
上げて聞かせ、同じ地球にある世界とは
信じがたいと話す
いつの日かお会いできたら信じられるの
だろうか
きっと、もっと圧倒されるに違いない
私は時々、本の中の登場人物のようだと
言われる事がある
私にそう言うのは日本の作家を愛する方達で
海外の作家の本しか読まない私にはイメージ
が全くわかなかった
日本の作家が描く登場人物という事だから
日本的な人物なのだろうと思うが、日本的
な人物とは果たしてどんな人なのかはよく
わからない
ただ言えるのは
映画の登場人物と本の登場人物とは全く違う
という事と、本の登場人物とは褒め言葉で
あるかもわからないという事だ
どう生きるかとは
どのような世界で生きるかとは
全て自分で決める事ができる
映画のような世界でもなく
本の中のような世界でもなく
自分の心の中に広がる美しい世界を作りたい
明日、金曜日から日曜日までのブログはお休みします。
次の更新は月曜日の予定です。
3.18.2020
美しい世界に住むとは
昨日のハイヒールのレッスンは
Biarritzからのコールだった
まず目を奪われたのは自然光を浴びた
Asami先生の透き通り、煌く肌だった
その美しさを伝える言葉を伝えたい
のに、何故か言葉に詰まってしまい
いつものように挨拶をし、レッスン
が始まった
私は未だ、Asami先生の前で緊張して
しまうのだ
美しい女性を前にした男性の気持ち
はこれだと思う
素足のエクササイズからハイヒールを
履く前のタイミングで、Asami先生が
景色を見せて下さった
海とAsami先生のセットの映像は
同じ地球での現実とは思えなかった
それにしても、この時期にパリから
出られるとはやはり物凄いタイミングだ
もしコンサルティングを受けておらず
Asami先生のblogだけを読んでいたのなら
とても強運な人なんだなと思っただろう
だがコンサルティングで学んでいる今
凄まじい努力と行動をされているかがわかる
わかるとは言っても、その努力とは私には
計り知れないものだろう
私はコンサルティングを始めてから
タイミングがとても良くなってきた
あげるとキリがないのだが、本当にいろいろな
事がタイミングよくいき、今回の騒動で落ち着い
ていられたのはそのおかげだ
もちろん、やはり心配になる事はあるが
以前の私であれば、買い占めの人を批判など
絶対にできなかっただろう
私はスピリチュアルな人間であるので
Asami先生との出会いは運命的であり
導かれたと思っている
だがそれと同時にこの出会いとは
自分を甘やかし、依存に導くような
巷に溢れたスピリチュアルとは一線を画する
自分を甘やかす事と
自分を愛する事とは
似て非なるものだ
世界は加速している
国や政治、隣人に文句を言っても埒が明かない
胸に手を当ててみれば
自分にも非があるのではないだろうか
自分の心が魂が美しくなければ
仮に楽園に住んでいても
そこは美しい場所には思えないだろう
3.17.2020
夫婦の美学
昨夜、夫と夕食を取りながら話している
時、本当にくだらない事でお互いに気分
を害し話しが中途半端な状態で夫はさっ
さと寝てしまった
そのくだらない事とは「伊豆」のアクセント
について
夫が伊豆のい、にアクセントを強くおい
たので、それは違う、そのアクセントだ
と、ハワイの歌手のIZになっちゃうよと
IZの踊り子じゃなくて、伊豆の踊り子と
言えば違いがわかるでしょ?と言うとム
ッとした夫がパソコンで本当にそのアク
セントが正しいかを調べ出したのを見た
私がカチンときたという、しょうもなさ
すぎる内容なのだ
私たち夫婦は新婚当時を抜かせば今では
ほとんど喧嘩をしないが、このように心
の底からくだらない痴話喧嘩は起こる
後から思えばくだらないのだが、その時
にはお互い絶対に譲らない構えで接する
のでますます状況は悪くなる
大抵において、夫と私は正反対の意見を
もっているので、ぶつからない方が奇跡
とも思える
道に迷えば、絶対に今では100%の確率で
右と左を逆に言う
私は塩ラーメンが好きで夫は味噌ラーメン
が好きで、夫は頭脳波で私は感覚派だ
全く違う二人が一緒になり、お互いを支え
合うというような美しい物語は私たちには
当てはまらず、一人一人が別々の人格なの
で分かり合えない部分はあるけれど、理解
に努めているといった具合だ
だが二人がたった一つ、これだけは絶対に
同じと言えるものがある
それは相手を特別な人間だと思っている事だ
私は夫を世界一の天才であると思っていて
夫は私を類まれな才能の塊だと思っている
これがお互いを尊敬しあえる鍵となり
お互いの存在があるからこそ
信じるからこそ
さらに高い場所へと行けると考えている
自分以上に相手が自分の才能を信じている
夫の後輩は私を夫の女神と呼ぶが、お互いが
自分のミューズのような存在と言えるだろう
私の人生は正直に、沢山の失敗や間違いや
過ちを繰り返し、人に誇れるものばかりで
は決してない
それは夫も同じだと言う
多くの痛みを抱え
今もお互いの胸の奥深くにあるものは
きっと全てはわからない
だが私たちは、特別で他にはない存在だと
思える相手を見つけた
未だ胸の奥にある痛みを癒しはしなくとも
相手の存在が故に救いとなる
それは運命的な出会いではなく
出会ってすぐにそうなった訳ではなく
時間と忍耐とで作り上げた
時には投げ出したくなったり
しょうがない事で頭にきたり
口も聞きたくない日もあり
どこか遠くで一人でいたいと思う時もある
私たち夫婦に美学があるとするのなら
諦めず乗り越え、人生を求め続ける事
それができるのはやはり特別な相手だ
3.16.2020
燃えよ魂
皆、いつから当たり前のように
人前を平気で横切るようになったのだろう
相撲で勝った力士が、右手を右左と振ってから
懸賞金を受け取る、この仕草を手刀というが
人前を横切るおじさま達もこの手刀をしている
のをよく見かけた
以前読んだ記事だが、この手刀には意味があり
人の前というのはその人の縄張りであり
踏み込まれた方は侵入者に不安感と嫌悪感を持つ
そこで踏み込む方は余計な心配を抱かせないように
手刀を切る事で相手と自分の縄張りを区別した上で
通るのだ
失礼!と言いながら腰をかがめて行うこの仕草は
おじさんぽいとは思うが
意味を知るとなかなか良いと思う
平気で人前を横切るよりずっといい
だが最近、この手刀をしているおじさまを
見かけないなと気がついた
そして同時に初めに綴ったように
平気で人の目の前を横切る人の多さにも
気がついたのだ
もちろん通常の暮らしでは横切らなければ
ならないシーンも沢山あるだろう
ラッシュの駅の乗り換え等しょうがない
場合もある
だがその時には
目で感謝を伝える
笑顔で感謝を伝える
礼で感謝を伝える
態度で感謝を伝える
心で感謝を伝える
それがないとならない
Asami先生のBlog
貴方だけでも美しくなるべきであるでも
綴られていたように
日本人の精神が失われて続けている
Asami先生のblogを読んだ時
胸がチクリと痛んだのは
私の精神からも失われている事に
気がついたからだ
豆腐メンタルという言葉があるが
ここ数年の私もそうだったと思う
私が剣道を好きだったのは
剣道をしている時の自分が好きだったからだ
武士道に心酔していたと言ってもいい
こんな事を言うとおかしいのかもしれないが
自分を美しく感じた
でも確かに美しかったのだと思う
怪我も勝敗も恐れず打ち込んでいた
それが最近の私ときたら
体調の思わしくない事を理由に
できない事だけを見ていた
元々できていなかったにも関わらずだ
そして、見栄っ張りという言葉が出てくる
何に対する見栄なの?
見栄と誇りを履き違えていなかった?
心に問いかける
私の強みは自分の弱さを見つめられる事だ
自分を責めてはいない
自分の味方は自分だ
そして自分の敵もまた自分だ
国を変える
この言葉を聞き
思い出し、そして燃えろ、私の魂
目の前を横切ったからといって
刀で斬られる時代ではない
だがそれ以外の大切な何かを失っている
とびきり強く、優しくなりたいと願った美しい魂へ
国を支えているのはいつだって女性なのだ
2019年12月4日のblogより
3.13.2020
決めた人生に変わる
どう生きたいかと考える時
明確な理想はあるだろうか
例えば豊かに生きたいと考えた時
何を豊かとするのか
お金一つとっても
お金だけを追いかけても
お金がなくても
そのどちらも豊かとは言えないだろう
ここ最近は明るいニュースもなく
むしろ世界中が心配に包まれて
晴れやかな気持ちになる事はなかった
そんな中、タイムラインにある動画が流れ
何故か惹かれてクリックした
2012年にスペインのサバデル銀行が
130年を記念して行なったサプライズの企画
「歓喜の歌」のフラッシュモブだった
気がつけば涙が溢れていた
このような世界が必要だった
ちょうど先週、音楽と芸術のある場所や街に
身をおき、生きたいと願った
そしてきっとそうなるだろうと確信した
その世界がパソコンの画面を通して
目の前に流れてきた
世界中が苦しんでいる今
このような世界が必要だ
私は人を信じている
私たちは大きな力を持っている
私は豊かに生きたい
そして誰もが豊かに生きて欲しい
豊かの定義は人それぞれだ
そのそれぞれの豊かさが合わさった時
きっと素晴らしい世界になるだろう
明日と明後日のブログはお休みします。
次の更新は月曜日の予定です。
3.12.2020
私達ができる事
東日本大震災から丸9年
もうそんなに経ったのかと驚く
あの日、私は札幌の友人のカフェに
いた事をよく覚えている
震源地から遠い札幌でも大きく揺れた
以前にも綴ったが私は修道院で瞑想をする
修道院とは世界中にあり、日本中にもある
ある年に仙台の修道院で瞑想する機会があった
その時に一緒になった参加者は、被災された方
等がほとんどで、その中の高知県出身のシスタ
ーは、被災地のボランティアの為に仙台に住み
釜石の人たちの心の支えになっていた
数年経っていてもまだ住宅のない人たちがいる事
住宅はあるが心の傷が深く、サポートが必要な事
未だ荒れたままの土地がある事
参加者の一人の方の家が流された事を実際に聞き
ニュースなどでこの災害の大きさを知っていたが
本州から遠い地では、本当の大変さを知らなかっ
たと痛感した
大変な状況を体験した方等と一緒の瞑想は
とても静かで美しい数日間だった
以来、私の心には仙台があり、機会があれば
瞑想をしに訪れ、連絡のやり取りをしている
日本人は多くの痛みを知っている
そこから何度も這い上がってきた筈だ
それなのに今回のウイルスの件で
また振り回されている
マスクの奪い合いで喧嘩をした人は
日本在住の外国人同士であったが
それがわからないように報道し不安を煽る
偏向報道がまかり通っている
トイレットペーパーの次は納豆の売り切れ
感染者の出ていない茨城は納豆を食べている
からではないのか?との噂によるものだ
何も学ばないとはこの事だ
命は大切だ
命は守りたい
だが不安が募るこのような状況時にこそ
落ち着いた行動をとる
そんなのは綺麗事だよ
そう言われるかもしれない
だがその綺麗事から始まることもあるのだ
非常時にこそ、理性と知性を働かせる
それが結果、自分もそして取り巻く状況を
落ちつかせるのではないだろうか
祈りと静寂をいつも心に
3.11.2020
惰性に気がつく
小中学校が休校した事で、給食の為に
牛乳を卸していた酪農の方達がとても
困っている状況のようだ
牛は生き物なので蛇口をひねる様に
して牛乳が止まるわけにはいかない
このままだと元気な牛を処分する
しかない状況とのことに心が痛む
一本でも良いので買って欲しいと
友人のtweetで知ったこのニュースを
見て、早速牛乳を買いに行った
牛乳を買うのは何年ぶりだろう
普段は無調整の豆乳を買っているが
これはベジタリアン時代の名残りで
あり、今でもあまり肉を食べないの
で、牛乳に変更しようという考えも
起こらなかった
ベジタリアンであるとタンパク質の
摂取が難しく主に豆から取るしかない
これは私の意見だが、食品とはなるべく
シンプルに食べる方が良いと思っている
ので加工の工程が多い大豆から作るソイ
ミートはベジタリアンであっても食べる
事はなかった
そこまでして肉のようなものが食べたい
のなら肉を食べればいいという思いも
正直にあった
豆乳や豆腐に関してもプロセスが多い
食品だ
そう考えながらそのまま豆乳を惰性で
飲み続けていたと牛乳を買う事で気が
つく
はっきり言えば、私の食生活に牛乳は
あまり必要ないが、大好きなチャイを
飲む時に使っている豆乳を牛乳にする
事で更に美味しくなったので、意味が
あったと思う
今回の事で惰性で行なっている事がある
のではないかと見直すきっかけとなった
3.10.2020
満月の夜に
今日は満月
生理前という事もあわせてクラシカルが
とてもキツく、レッスンでは久しぶりに
プラットフォームを履いた
レッスンの途中、ふと、週に2回こうして
Asami先生とお会いできる事の幸せを思い
そして迎える卒業を思うと、とても寂しく
なってしまった
卒業して、レッスン等でこれからもお会い
できるとしても、このコンサルティングの
時とはきっと少し違うのだろうと思う
文字通り、魂を込めて向き合ってくださり
私の人生は変わった
このコンサルティングのすごいところは
体だけでも心だけでもないところだ
それを週に2回、数ヶ月
変わらないわけがない
先週、久しぶりにオンラインの英会話
レッスンを受けた
このきっかけももちろんAsami先生だ
久しぶりに話すと全くと言っていいほど
話せず、もどかしい思いと残念な思いで
あっという間に時が過ぎた
フィリピンに滞在した3ヶ月、一日8時間
の授業、2時間の宿題、早朝の地元のヨガ
スタジオ通いで、やっとスタートラインに
立っていたくらいの私の英語は今やゼロだ
何事も継続しなければ失う
自分でも気がつかないうちに
そして自分ではできているつもりでも
語学に関してはもう一度初心に帰って
勉強すればいい
努力は必要だが自分次第でもあるし
沢山の英語の先生が世界中にいる
だが美学に関してはどうだろう
私のこの英語のように、休んでいる間に
失っている事にも気がつかずにいたら?
大体においてAsami先生と出会うまで
美しく生きたいと思った事はなかった
どうでもいいと思って生きていた訳ではない
ただ豊かに生きる、幸せに生きるなどは思い
つくが、美しく生きるという言葉はなかった
以前の私には戻らない
だが常に意識をしていなければ
あっという間に落ちていく
或いは方向性を見失う
どこに身を置くか
どう生きるか
満月の夜、新たに思う
Asami先生がシェアして下さった動画です
この世界が美しく生きる事への
気持ちを強めてくれた
満月の夜が来るたびに
私はこの美しい世界を
思い出すだろう
3.09.2020
マスク美人?
最近のニュースで北海道知事は、マスクを
するとよりイケメンだという記事を読んだ
全く失礼な話しである
とは言え一応、どれどれと写真を見てみると
マスクをしなくてもハンサムな男性であった
今回のマスク騒ぎ以前から、日本ではマスクを
着用する人が多かったが、その中で聞いた事が
あるのが、マスクをしていると美人に見える
強気でいられる、守られている気がして安心する
などの言葉だった
だから今回の件で良かった事は、これで大手を
振ってマスクができるようになった、このまま
マスクの習慣が当たり前になるようになれば
良いなどと言っている人がいた
全く理解不能だ
以前、友人から、美人の友人が車でなかなか
合流させてもらえない時には、窓をスーッと
あけ顔を出すと、一発で入れてくれるという
話しを聞き感歎した事があった
早速、私も美人の友人と車に乗った際
窓から顔を出して!と言い、彼女が顔を出すと
当たり前にすぐ譲ってもらえた
それでは私もとやってみると
まあまあ上手くいったのだった
(※上手くいかない時、相手が女性の場合は
私の美貌を妬んでいるのねと言い
男性の場合は、私の美貌が怖いのねと
言うと少し楽しくなります)
私は人が振り返るほどの美人ではない
だが、窓を開けてにっこりする女性に
車を譲らない事ができるだろうか?
私はできない
これは美人か美人じゃないかが
問題ではないのだ
マスクをしている方が美しいと思う理由として
目は色々と加工しやすく美しく作れる、鼻や
口や顔の輪郭は変えられないから、マスクで
隠しておけるからだという
制服を着ている時は素敵だったが、私服を
見てガッカリしたなどは、よくある話だが
マスクの場合は外せば顔が変わるのだ
美しくなりたい、美しく見せたい
その努力がマスクありきとは努力の方向が
全く違う
顔も体もコンプレックスを隠すのでは
解決しない
私はガッチリとして強そうな体なので細く
華奢になりたいと長年思っていた
だが私は痩せたとしても華奢にはならない
Asami先生に目を覚ましていただいてから
私の自分の体に対する思いは変わった
このコンプレックスを隠そうとダボダボの
服を着たのなら、私は自分が醜い体をしている
と自ら暗示をかけることとなっただろう
先ほど述べたように、私は人が振り返る
ような美人ではない
だが表情や立ち居振る舞いで見せ方は
いくらでも変える事ができるのだ
だが、欠点を隠すという心がある限り
残念ながら変える事はできない
今のこの時期、マスクをする事がマナー
のような場合もあるだろう
マスクをしている時の気持ちが
仮面舞踏会での仮面的なマスクと
欠点を隠したいマスクとだったらどうだろう
マスクを取ったらガッカリされるかも
しれないというような気持ちではいけない
マスクを取った私を見たいでしょう?くらい
な気持ちでいてみてはどうか
あまりにも自意識過剰に聞こえるだろうか?
私は良く恋愛について相談されるが、決まって
言うことの一つに、自分の持っているものを
最大限に使っていけという事がある
軽薄に聞こえるかもしれないが
それには顔も含まれる
生まれつき美しくてもただ美しいだけでは
全く足りない
表情が美しくなければただの人形で
人はいかに美しく見せるかが大切なのだ
美しい人たちはそれを知っている
美しい人たちはさらに磨きをかけているのに
マスクで隠して安心している場合ではない
顔はあなたの美しい武器になる
どんどん有効活用しなくては
マスクを取った私はもっと美しい
それくらいの気持ちを持ってほしい
3.07.2020
宝物を作る
先日のblogでノートを作る方法の
正解がわからないと書いたが
Asami-ParisチームのLa tour des Esprits
neneさんが宝物となるノートを作るで
とても良いアイデアを紹介して下さった
neneさんも仰っているが、私もここ数年
Kindleを使っているものの、やはり紙で
読むのが好きで、何度も繰り返し読む物
に関しては本を購入していた
ノートに書き写す際に問題となるのは
追加することをいかにごちゃごちゃさせ
ないかだが、neneさんがシャアして下さ
ったルーズリーフ に付箋を貼り付ける
ノート作り、これは良い!と私も早速
取り入れる事にした
そして以前のチームのメンバーであった方
の、ハイヒール関連のノートを宝物のように
されていたお話しも心に残り私もそのような
ノートにしようと決意した
知識とは財産であり、情熱である
しっかりと残す事、そして繰り返し使う事で
自分の身の一部となる
宝物となるノート作り
この言葉に心はときめきを覚え
難しいと感じていた事が楽しみとなった
neneさん、ありがとうございます。
明日のブログはお休みします
次の更新は月曜日の予定です
3.06.2020
官能美コースを終えて
2月4日が初セッションで
本日3月6日が3回目のセッション
今日は最終回であった
不思議な事に、私はこの1ヶ月で
自分がずっと夢見ていたにも関わらず
いつからか忘れていた夢を思い出した
なぜこれを忘れる事ができたのだろう
いや、忘れたのではない
現状に満足していると思う事にして
どこかで諦めたのだ
もう一つ、この1ヶ月で変わったことは
音楽が生活に流れ、そしてこの音楽の
流れている環境に身をおきたいと思う
ようになった
私はもともとチェロが好きだが
Asami先生がblogにリンクして下さった
フランス革命記念日での演奏を目にして
以来、日常生活にもこのような美しさが
欲しいと思うようになった
官能美とは関係ないように思える
これらの事は、美しくも官能的でも
ない私ならば意味がない事だ
Asami先生が
リタイヤのエネルギーはどうなりましたか?
仰ったのを聞き、すっかりリタイヤのことを
忘れていた事に気がつく
たった1ヶ月前の私は長老のような気持ちで
人生は若者のために譲ろうとリタイヤをする
気満々で、仙人にでもなりそうな勢いだった
今でも私は静けさが好きだ
音楽を消す時間も必要としている
だがそれとは別に、音楽が与えてくれる
心の静けさもまた愛するようになった
今、私の家ではチェロの音色が響き
静けさと高揚、そのどちらも私に与えてくれる
その時を感じ続けること
人生とは苦しく、また美しい
綺麗事ではないことも
その全てを官能で享受する
そんな見方ができるとは知らなかった
だが私はそうなりたかったのだ
私は自分をいつも”惜しい”と思っていた
今はそう思わない
惜しいとは何かが足りないということだ
何かが足りない
そう感じているのなら
Asami-Parisの官能の扉を叩いて欲しい
3.05.2020
ハイヒールコーチは芸術家である
先日のハイヒール レッスンで
私は粘土になった
右の腹筋は落ち、背筋も入らず
骨盤は回り、肩甲骨は開かない
足を出しながら
骨盤を正面にキープし
上半身が回るので戻し
肩ももっと開いて
頭をしっかりとプッシュし
背中をもう少し前へ倒し
Asami先生の修正が次々と入る
今回のレッスンでのものすごい修正に
体が粘土になったかのような感覚だ
粘土と言うと柔らかくて良さそうだが
筋肉がしっかりと入らない状態だ
だがこの粘土の感覚
マッサージなどよりずっと効果があり
次々と体の形を正しく変えられていくような
とても素晴らしい感覚だった
体のポジションが良くなると
途端に自分のエネルギーも正常化し
巡り出すのを強く感じる
Asami先生がクライアントの心を捉えて
離さない理由はあげ出したらキリがないが
やはりエネルギーが一番だ
ハイヒールコーチとはアーティストだ
クライアントの体とオーラを美しく作り上げる
Asami先生は世界を飛び越え
エネルギーさえも作り上げる
マエストロ?マエストラ?
フランス語ではなんと呼ぶのだろう
チームの先輩には師匠と呼ぶ方もいる
その呼び名も納得だ
私は今まで芸術家であった事はないが
きっとそうなるだろうと確信している
美しい先生のもとで学んでいる今
私も自分の力で美しい世界を作りたいと
願うようになったから
3.04.2020
3.03.2020
理性と人間性を働かせる
送られてきた
新型コロナウイルスの流行で休校になった
イタリア北部のミラノにある高校の校長が
生徒に送った手紙である
2月25日付けの手紙は、イタリアの作家
アレッサンドロ・マンゾーニの
「婚約者(いいなづけ)」31章の引用から始まる
舞台はペストに見舞われた1630年のミラノ
アレマン(ドイツ南西部)の人々がミラノに
持ち込むことを健康裁判所が恐れていたペストが
本当にやって来た
国中に広がり、多くの人が犠牲になった
「そこには全てが書かれています
外国人の排除、権威の衝突、最初の感染者探し
専門家への軽蔑、暴走する世論、馬鹿げた治療法
生活必需品の略奪、そして医療の危機
社会生活に回る毒と市民生活の荒廃
見えない敵に脅かされていると感じる時
人間の本能はそこら中に敵がいるように錯覚させます
私たちと同じ仲間まで脅威として、また潜在的な攻撃者と
してみなしてしまう危険があるのです」
校長は説く
今も昔も人間の心理は変わらないと
今も昔も人間の心理は変わらないと
イタリアだけではなく
同じ事が日本にも起こっている
90%以上が日本国内の生産である
トイレットペーパーやティッシュ
生理用品、オムツまでが
デマと恐怖の為に棚からなくなった
買い占めのあまり医療機関でもマスクが不足し
全ての病院に防護服さえないという状況
私が暮らす神奈川ではマスク争奪の為
馬乗りになって喧嘩した人もいる
政府への不信感、メディアの恐怖の煽り
一体、何をしているのだろうか
自分の身は自分で守らなくてはならない
だがこれが自分の身を守っている事なのか
私たちは知性と理性を持った人間であり
見えない恐怖を克服しなければならない
そうでないと打ち勝つ事ができない
私の周りには医療従事者が多く
休む間もなく働いている
病気の疑いがある人の変わりに
休日を返上して出勤する
だがこれは彼らにとっては普段から
当たり前のことで愚痴一つ言わず働く
最前線にいる方々、そのご家族の思いは
一体どれほどだろう
Ravissanteの愛さんは子ども達の為
カリキュラムを計画しておられる
素晴らしい教育は、国の宝である
子ども達を守る事と繋がる
これは本当に素晴らしいことだ
我々のできる事は、自分の身を守るのは
もちろんだが、愛さんも仰っている通り
ネガティブに捉える事なく自分に可能な
できる事を前向きに行う事である
今こそどう生きるかが問われている
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