以前にも綴りましたが
今年は慈悲の瞑想のマントラを
よく唱えています
以前、綴ったblog
慈悲の瞑想のマントラの一部をご紹介しましたが
今回もマントラの一部をご紹介したいと思います
今この世界で共に精進する者たちよ
今この世界で共に生きる僧侶たち
小僧たち、精進する全ての男女たちよ
彼らが敵意から起こる怒りや
悪事から解放されますように
彼らが怒りから起こる
痛みから解放されますように
彼らが自ら平穏を選び
それを保つことを何より願っています
このマントラはほんの一部で
まだまだ祈りが続きます
結論から言うと
宇宙のあらゆる方角へまで
祈りは続きます
それはまた別の機会で
紹介したいと思います
家族や友人
自分が関わる人たちのために
祈ることははあまり難しくない
ように思います
ここで取り上げるのは
全ての精進している人たちです
これはほんの一例ですが
日本ではお布施というとお金を支払うという
イメージが強いですが、仏教国のタイでは
自分への投資のような感覚なのだといいます
お坊さんに托鉢をしなければ
お坊さんはご飯を食べられない
そうするとお寺は無くなってしまい
自分は仏教の教え(仏法)を聞く事ができない
お布施はお坊さんの環境を整えているのではなく
自分の環境を整えているという考え方です
托鉢を受けるお坊さんも
決して自分たちは上の存在ではない
というマインドセットなので
必ず裸足で托鉢を受け取ります
ではお坊さんや宗教を信仰している方
修行や祈りをしている方たちだけが
精進している方達なのでしょうか
ともすると人は
何故あの人はこうなんだろう?
私ならこうするのに、と
自分の正しさを勘違いする事があります
ですが、誰かを見下したり
誰かを落として自分の価値をあげようと
するのは間違いです
私の知るドクターにいつも自分の考えを
疑ってかかるという方がいます
それは自分に自信がないという事でなく
本当にこれで正しいのだろうかと
大切な命に関わる事を、最後の最後まで
模索し続けて検討し続けているからです
精進するということは
誰かと自分を比べることなく
自分で自分のボーダーラインを
超えていくことなのです
明日と明後日のblogはお休みします
いつも読んでくださりありがとうございます
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